第2章 厳しい修行から得たもの

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下記にテープ起こし原稿を掲載します。話の中で省略された言葉を多少補足してあります。

4.細工人として、陶芸家として

Q 先生は細工人と呼ばれていますけど、私たちから見れば先生は陶芸家でもあります。陶芸家活動についてどう考えておられるのでしょうか?

村島昭文
 作家活動もしなければならなくなりました。会社からも、「うちは職人はおるばってん、作家はおらん」というて、社長の3代目から言われました。「職人としてはピカイチでがんばるばってん、作家がおらん」と、寂しい顔で言われたので、それから私も、だいぶ遅れて作家活動もしてきたんです。日本工芸会の正会員までなって、12回入選した。目標は10回でしたから、10回入選すればいいかなと思ってやってきましたけど、正会員になったからずっと続けてきました。
 一級技能士とか伝統工芸士とかありますが、伝統工芸士のろくろ部門で認定されたのは、私が第1号です。

Q 作家としての活動はどういうふうにされていらっしゃるのでしょうか。

村島昭文
 展覧会とか美術品を観て、気に入ったものから陶芸展に出すようなイメージに変えています。
 作家活動をする場合は、商品であってはいけない。作品としてみてもらう仕事をしなければなりません。
 私は初代の忠右衛門先生について、4、5年手伝いに通いました。先生に、「陶芸展に出したい」というと、「作ってみろ」と。できたものは、商品なんです。技術はありますから。これで入選くらいするだろうと持って行くと、「できすぎていて、作品じゃない。商品です」と言われました。
 「商品と作品は、どう違うのですか」と、私は審査員にくってかかりました。一流の先生が良いと言ってくれたので入選くらいすると安易な考えて持って行ったからです。

 入選まで6年かかりました。出しても出しても落ちる。最後は、これは県知事賞をもらったのですが、忠右衛門先生には見せずに、いきなり持っていきました。そしたら、いきなり初入選で最高賞の受賞でした。陶芸部門の中では、県知事賞が最高賞でした。それからわりと心が楽になって、いろんな賞をいただいてきました。