江戸の恋     上山明彦

職人の恋(2)

  職人の恋が、どんなものだったのか。今ここに17歳の簪(かんざし)職 人三治と小間物問屋に女中奉公しているお佳代がいるとします。今回は新 しい趣向で、時代小説風に二人の恋を追いかけてみましょう。字数の問題 から、メルマガでは細かい描写は省きます。

 三治が親方の下に弟子入りしてから7年が経った。親方の指図で、簪の 大事な部分もようやく任されるようになった。今日は、去年独立した兄弟 子の大吾が仕事の手伝いに来ている、師走を来月に控え、大量にある注文 を作るのに人手が足りないからだ。愛弟子の手助けに親方も朝から機嫌が いい。
「おい、五郎。今何時だろうな」
と三治は、側を通り過ぎようとした五郎を引き留めた。五郎は同い年だが 半年後から入った弟弟子だ。
「四ツ(午前十時)ぐれえかな。でも、なんでだい。あ、そうか。今日は お佳代ちゃんが来る日だ。三治、楽しみだな」
 五郎が三治の心を見透かして言った。
「ばか、そんなことじゃあねえよ」
といいながらも、三治の顔がみるみる赤くなった。
「こらあ、てめえたち、ウダウダ言ってんじゃねえ。女のこと考える暇が あったら、腕を磨け」
と、兄弟子が横やりを入れてきた。二人はとたんに口を閉じて、仕事に戻っ た。ここは長屋の1軒。入口は光を採りいれるために空け広げてある。
 三治は時々手を休めては、木戸のほうに目をやっている。今日はお佳代 が問屋からの注文書を届けに来る日だ。三治は毎月15日にやってくるお佳 代を見ると、胸がときめいた。何か話しかけようと思ったが、親方や兄弟 弟子の前では何も言えない。ただたまたま親方が出かけていたとき、代わ りに注文書を受け取ったことがあった。そのとき二言、三言言葉を交わし たことがある。お佳代の澄んだ瞳をじっと見つめたら、お佳代は顔を紅く 染め、逃げるように帰ってしまった。3ヶ月前のことだ。
 三治はあれから思い続けてきたことがある。親方に、これは腕を磨くた めの見本とごまかしながら、1本の簪をつくってきた。それが懐の中にあ る。お佳代に簪を付けて正月を迎えてもらいたい。そう思って作り続けて きた。三治はこれを親方にも兄弟子にも知られずに、どうやって渡そうか と、朝からそのことばかり考えあぐねていた。

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