江戸の恋     上山明彦

 離縁

 江戸時代の女性の社会的地位は、低かった、いや意外と高かった、と様 々な議論がなされている。はたして真相はどのあたりにあるのだろうか。
 ある男と女が見合いか恋愛をして夫婦になる。普通の町人なら、どこか の長屋に所帯を持つことになる。部屋を借りる場合、単に家主と契約して 家賃を払うだけの関係を意味しない。当時、「家主は親も同然」といわれ ていたが、その意味は深い。家主はいったん自分の長屋に人を住まわせる と、住人に対していろいろな責任を持つことになる。現代の戸籍に当たる 人別帳に、入居者を記入する。以降、彼らの身元に責任を持つことになる。 店子が問題を起こしたら引受け人になるのはもちろん、私生活上の悩みの 相談に乗ったりもする。店子の夫婦が離縁する、しないという騒ぎになっ た場合、両方の親族とともの家主が仲裁に入るのである。
 江戸時代、夫から離縁したい場合、三行半と呼ぶ離縁状を突きつけた。 夫側の権利が強かった。それに対して妻から離縁する権利はなかった。夫 がひどい場合、親族に間に入ってもらって夫側を説得してしてもらうしか なかった。
 唯一、非常手段として、法的に認められていたのが、縁切寺への駆け込 みだった、その一つに鎌倉・東慶寺がある。ここに駆け込んだ女は、夫や 関係者からの一切の干渉から保護され、離縁までの手続きが保証された。
 井上禅定著『東慶寺と駆込女』という本がある。著者は、鎌倉東慶寺の ご住職で、今は故人。縁切り寺、駆け込み寺として有名だった東慶寺に残 された文書を元に、女性の歴史を紐解いた本であ る。特に江戸時代、女性の社会的地位はどういう状態だったか。女性たち がなにゆえに駆け込み寺に救いを求めてきたのか。どういうふうに夫と離 縁したか。あるいは復縁したか。
 本書は主に江戸時代の事件を紹介しているのであるが、現代と比較して 考えるとき、男と女の諍いは、本質的な部分ではあまり変わっていないこ とを痛感させられる。
 本書を読むと、江戸時代は東慶寺が奉行所と協力して、町内会の名主、 年寄り、5人組といった自治組織に責任を持たせ、女性を保護していたこ とがわかる。反省しない男がいても、社会的な強制力があったのである。 これなら江戸時代のほうがマシではないか、とさえ思えてくる。
 鎌倉東慶寺は明治時代になってから縁切り寺法も尼寺も廃止され、現在 の姿に至っている。その歴史も本書で知ることができる。

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