藤本義一に学ぶ
生かされている自分に気付く
昔「イレブンPM」という深夜番組があったことをご存じだろうか。大人向けの番組で、大橋巨泉も司会者の一人だったことがある。藤本義一はすでに有名作家であったが、その番組の大阪側司会者としても活躍していた。私はその印象が強すぎて、タレント兼業作家として見ていた。
藤本義一に対する印象ががらりと変わったのは、ちょうど一年くらい前。フジテレビのBS番組から出演依頼があった。それは情報バラエティ番組で、書評のようなコーナーがあり、そこで新刊を紹介するというもの。そのために時間をかけて本を探し、読んだ。
そしてそのとき藤本義一著、『人生の賞味期限
』岩波書店刊を取り上げた。これは彼の自伝的エッセイである。一九三三年、大阪生まれ。一九五八年大阪府立大学経済学部卒業。宝塚映画入社。シナリオ執筆を経て、作家に。一九七四年、「鬼の詩 上方苦界草紙
」で直木賞受賞。一九六五年~九〇年、「イレブンPM」の司会者。これが略歴である。
一九四一年十二月が太平洋戦争へ突入した年であるから、彼は七、八歳の頃から五年ほど戦争を体験したことになる。本書によると、彼は中学一年のときに終戦を迎えた。四十五歳の父は職と店を失い、絶望の底で肺病にかかった。母は病弱だった。
家計を支えるために、彼は闇市で大人と互角に取引した。その経験は彼の人生観に大きな影響を与えた。金のむなしさ、金に群がる人間の醜悪さ、そういうものを多感な少年期に経験した。そこから逃れるために旅をした。 昭和三十三年(一九五八年)、藤本義一は川島雄三監督に弟子入りする。そのときのやりとりが実にいい。
監督「プロとアマはどう違うのですか?」
藤本「プロは嫌なことでも進んでやるから好きなことができるのであって、アマは嫌なことを避けるから好きなこともできない者です」
なるほど、本質を突いた言葉である。この返答がきいたのか、彼は弟子入りを認められた。
その後作家としても成功をおさめた藤本義一だが、阪神淡路大震災では洋服箪笥の下敷きになり、九死に一生を得ている。また、脳のスキャンでは、確実に脳幹の空洞が広がっているという。時間が経てば痴呆症に陥るかもしれないのである。
そういう様々な人生経験を通して、藤本義一は言う。
「生かされている自分」。「自分の意識だと思っていたことは慢心、傲りに過ぎないと気付いた」。
そのことを素直に受け止めて生きていけばよいということなのだろう。誤解のないように断っておくが、藤本義一は欲得に絡む宗教団体が嫌いなようである。だが、宗教そのものを否定しているのではない。彼の言葉は人生哲学として受け取るべきである。
まだまだ私などは、心の奥底で「自分の意志で生きている」と考えているようだ。「この未熟者!」という声が聞こえてきそうである。