井上ひさしに学ぶ(二)
「笑い」にかける想いとは
井上ひさしが作家になるうえで大きな影響を与えたことについて、ひとつずつ取り上げてみたい。
少年時代
父親は早くに亡くなっているが、若いころは小説家志望であったが、東京で病気を患い、山形県小松市の実家に帰郷。そこで東京で知り合ったひさしの母と結婚して家庭を築いた。
母はひさしが少年のときから、おまえの父は病気さえしなかったら小説家か脚本家になれたんだ、というのが口癖だったという。
祖母もまた同じ思いを持っていたようだ。母親が生計を立てるために単身赴任のようにして遠方へ働きに出ていたため、ひさしは仙台のラサール修道会が運営する「光が丘天使園」に入っていた。祖母に会ったとき、ここに置いてくれと頼むと、祖母はおまえの父は作家になりたかったのに跡を継がせてしまった。おまえを引き取ると甘やかしてしまい、将来をだめにする、と言って涙をのんで帰らせたという。
こういう家庭環境が井上ひさしに作家になるよう潜在的に強く働きかけたことは間違いないだろう。
モッキンポット師とラサール時代
「光が丘天使園」では、無欲で子供たちに奉仕する修道士たちから精神的なよりどころを教えてもらったようだ。長くなるが本人の言葉を引用する。
「私が信じたのは、はるかな東方の異郷へやってきて、孤児たちの夕餉を少しでも豊かにしようと、荒地を耕し人糞を撒き、手を汚し爪の先に土と埃りをこびりつかせ、野菜を作る外国の師父たちであり、母国の修道会本部から修道服を新調するようにと送られてくる羅紗の布地を、孤児たちのための学生服に流用し、依然として自分たちは、手垢と脂汗と摩擦でてかてかに光り、継ぎのあたった修道服で通した修道士たちであった。私は、天主の存在を信じる師父たちを信じたのであり、キリストを信じる襤衣の修道たちを信じ、キリスト教の新米兵士になったのだ」(桐原良光著、『井上ひさし伝
』、二四八頁)
ひさしを含む園の子供たちは図書館から本を盗み出しては古本屋に売り払って小遣いを稼いでいた。ある日、修道士が蔵書が少なくなった書棚を寂しそうに見つめていた。ひさしはそれを見て心が痛んだという。偽善ではない本物の修道士たちの姿は、彼に深い影響を与えたようだ。
『モッキンポット師の後始末』に出てくるモッキンポット師は、架空の人物である。ひさしが「光が丘天使園」で出会った修道士の象徴と見ることができる。
私が中学生か高校生のころ、この作品がテレビドラマ化され、石坂浩二が主役の大学生を演じていた。私は毎週このドラマを楽しみに見ていたが、そこに盛り込まれた「笑い」には大きな影響を受けた。
世の中にはいろいろな「笑い」があるが、一生懸命に生きようとする人間同士が作り出すある種のこっけいさが、この作品に表現されている。本人は必死に生活し活動しているのだけれども、客観的に見るとこっけいなことを演じている。そういう人間の愛すべき側面を描いているのである。
それは一生懸命に生きる人たちをバカにするのではなく、哀れむのでもない。そこには根本的にそういう人たちに対する深い愛情が根ざしている。それを土台とした上で、「人間てバカだよね。俺もその一人なんだけどさ」というような想いが描かれているのである。そういう「笑い」を井上ひさしから学んだ。小説もよかったが、ドラマもよくできていた。再放送してほしいものだ。
放送作家時代
視聴者に受けるドラマの作り方の定石の一つに、話を常に悲劇的な方向へ持って行くという方法がある。ドラマでは「トレンディドラマ」を含め、問題を解決しない方向へ、解決しない方向へと運んでいく。それが視聴者の涙を誘うことになる。
これは映画や小説でもよく用いられている方法で、受けるストーリーを書きたかったらそれを使ってみるとよい。特に恋愛小説あたりでは、愛する二人を妨害する家族、周囲の人、さらに大きな壁となる生活や健康の問題。さらに横取りを企む美貌のライバルなどの要素をうまく組み合わせていけば、受けること間違いない。実際そういう手法で売れている作家がたくさんいるではないか。
余談を少し。私は手塚治虫を尊敬しているが、彼も晩年になるとこの悲劇性を意図的に使った。その方が読者に受けるからだ。そのことについて彼を批判する人もいたようだが、それに対して彼は、自分がどれほど人間に対して失望しているのか知らないからだと反論したという。なぜそこまで失望したのかはよくわからないが、単純に「受け狙い」と批判できない理由が隠されていうようである。
話を戻す。井上ひさしが放送作家だった時代でも、今ほどではないにしても視聴率やストーリーに対するクレームなどの問題があり、経営幹部から強い圧力があった。しかしながら当時のプロデューサーたちは、その圧力がひさしたちまで及ばないように食い止めてくれていたという。そういう伸び伸びした環境が、あの「ひょっこりひょうたん島」を生み出したのである。今のテレビ局のプロデューサーたちに聞かせたい話だ。
「日本人のへそ」「吉里吉里人 (1981年)
」に見る地方性のエネルギー
才能が認められるにつれて、大きな仕事も手がけるようになる。熊倉一雄という名優が、ひさしの才能に惚れ込んで書かせたのが、「日本人のへそ」という戯曲だ。この作品の中には、地方出身者のコンプレックスとエネルギー、言葉遊び、どんでん返しの連続の展開など、井上ひさしのこだわってきたものがふんだんに盛り込まれている。
ベストセラーになった長編小説『吉里吉里人』もまた同じように、彼の想いが込められた作品だ。ある日、東北のある地方が、日本から独立を宣言するという奇想天外なストーリーだが、奇抜さだけで書かれた小説ではない。興味がある方はぜひ読んでいただきたい。