目黒考二に学ぶ

   本好きが高じて「本の雑誌」創刊

「本の雑誌」という雑誌がある。椎名誠が編集長で、発行元は「本の雑誌社」である。ここからは有名作家が何人も育っているので、読者のみなさんもご存じのことだろう。椎名誠も「本の雑誌」創刊を巡る話をいくつかの本に書いているので、読まれた方も多いはずだ。
 私が最初にこの関連で読んだのは、椎名誠の本ではなく目黒考二の本だった。友人からおもしろい本があると勧められたのがきっかけだ。
 その頃はインターネットはなく、パソコン通信の黎明期だったと思う。私も何の展望もなく出版社を創りたいと考えていた頃だった。
 目黒考二は「本の雑誌社」の社長(当時)である。彼が創刊の重要な役割を果たしたのであるが、そのいきさつが変わっている。
 目黒考二は本を読む時間が欲しいという理由だけで就職しては辞める、という転職魔だった。そんな折り、当時椎名誠が編集長だった業界誌に、彼が就職してきた。
 しかし、彼はまた本を読む時間がないという理由で辞表を出す。一度は椎名誠の引き留めで残るが、結局辞めてしまう。
 退職後、何を思ったのか、目黒考二は読んだ本の書評を簡単なレポート形式にして椎名に郵送した。椎名はそれがたいへんおもしろかったので、また書いて送るように返事を書いた。
 目黒が何度か書くうちに椎名も参加し、同人誌のような雑誌が出来上がる。書店に置いてもらって、他の人にも読んでほしいと考えた目黒は、一人で書店を回って交渉した。

その結果、いくつかの書店が店頭に置いてくれた。その頃、彼は雑誌流通の仕組みについて何も知らなかったという。
 書店での販売は好評で、少しずつ置いてくれる書店が増えていった。

しかし、また本を読む時間がなくなってしまったことに気付いた目黒は、何度も発行を止めようと思った。
 結局、「本の雑誌」は大成功し、今の姿になったわけだが、決して順風満帆ではなかったはずだ。私は出版社の人間に、よく本の雑誌創刊の話をします。情熱と企画と努力があれば、必ず成功できると。
 しかし、現状のルートで何とか食べていける出版社の経営者や編集者の多くは、あえて苦労やちょっとした冒険さえしたがらない。すでにできあがっている体制の中でしか物事を考えることができないのだ。

そして少し自分の担当した本が売れると、まさに自分の力で売れたと思いこむ。たしかにそういう場合もあるが、実際は会社の宣伝・販売力に負うところが多いのである。
 出版人として、目黒考二や椎名誠たちの切り開いた道は素晴らしいと思う。もちろん書き手としてもすばらしい。私もインターネットと電子出版で、彼らとは違った方法で新しい道を開拓したいと思っている。

目黒考二はその後社長職を譲って会長職に移り、傍ら北上次郎というペンネームで批評家として活躍している。