遠藤周作に学ぶ(一)
人間の生と信仰の意味を問い続ける
今回は遠藤周作について書いてみることにした。純文学作家、「ぐうたらシリーズ」の狐狸庵先生、素人劇団「樹座」(きざ)座長という様々な顔を持つこの大作家のことをまとめるというのは、ちょっと無謀かもしれない。
一九九六年に亡くなったが、氏を慕うファンの声は消えることがない。私が未熟なコラムを書いてしまうと、ファンの怒りを買うかもしれない。
そういう危惧があっても、やはり遠藤周作について書かずにはいられない。もの書きをめざす人間にとっては、絶対学んでおくべき作家だからだ。私は遠藤文学のほんの入り口しか紹介できないことを自覚しているが、それでも読者の皆さんが、遠藤文学をさらに深く追求していこうという気になってもらえれば、それだけでも価値があると思う。
あらかじめことわっておくが、遠藤周作はカソリック教徒である。氏の文学は基本的にキリスト教をテーマに書かれている。そこに拒否反応を示す人がいるかもしれない。
私はキリスト教徒ではない。「宗教は何だ?」と聞かれれば、「仏教徒だ」と答えるしかないが、熱心な信者ではない。実家は浄土真宗西本願寺派の檀家だが、どちらかというと私は禅宗に惹かれる。
そういう私が断言する。遠藤文学はキリスト教に関係ない人でも、十分に感銘を受けるテーマを含んでいる。そのことについて、次回から本稿で紹介していきたいと思う。
私は高校時代、「海と毒薬 」、「沈黙 」、「おバカさん」、ぐうたらシリーズを読んだ。今思えば、当時は消化不良のままだったが、先の二冊で強烈な衝撃を覚え、後の本では笑ったりうなずいたりした。まだ素直な時代だったから、遠藤周作も狐狸庵先生も違和感なく受け取ることができた。
年を取ってからようやく「沈黙」の意味がわかるようになった。若い時は若いなりに、年を重ねれば重ねた分、その小説の味わいが変わってくる。遠藤文学は、まさに本物の芸術作品だと思う。
今回は最後にさらりと遠藤周作の年譜をたどっておくだけにとどめたい。
参考文献はたくさんあるが、氏の作品以外では、次の三冊がおすすめだ。
「夫・遠藤周作を語る 」、遠藤順子著、文藝春秋社刊。
「わが友 遠藤周作―ある日本的キリスト教徒の生涯 」、三浦朱門著、PHP研究所刊。
文藝別冊「遠藤周作」、河出書房新社刊。
<下記の年譜は文藝別冊を参考にしました>
一九二三(大正十二)年三月 東京生まれ。二人兄弟の次男。父は銀行員、母は音楽家。
一九二六(昭和元)年 三歳。父の転勤で旧満州大連市に転居。
一九三三(昭和八)年 十歳。父母離婚。母親と共に帰国。西宮氏夙川に転居。
一九三五(昭和十)年 十二歳。カトリック教会で洗礼を受ける。
一九四三(昭和十八)年 二十歳。慶応大学文学部入学。父の希望した医学部に入らなかったため勘当。カトリック学生寮に入寮。
一九四七(昭和二十二)年 二十四歳。「カトリック作家の問題」を「三田文学」に掲載。
一九四八(昭和二十三)年 二十五歳。三田文学の同人となる。
一九五〇(昭和二十五)年 二十七歳。現代カトリック文学研究のためフランス留学。
一九五三(昭和二十八)年 三十歳。フランスから帰国。母死去。前年に見つかった肺結核のため体調不良。
一九五五(昭和三十)年 三十二歳。「白い人・黄色い人」で芥川賞受賞。
一九五六(昭和三十一)年 三十三歳。長男・龍之介誕生。
一九五七(昭和三十二)年 三十四歳。「海と毒薬」発表。高い評価を受ける。
一九六〇(昭和三十五)年 三十七歳。肺結核再発のため入院。
一九六三(昭和三十八)年 四十歳。「わたしが棄てた女」発表。
一九六五(昭和四十)年 四十二歳。「狐狸庵閑話」を刊行。
一九六六(昭和四十一)年 四十三歳。「沈黙」を刊行。
一九七三(昭和四十八)年 五十歳。「死海のほとり 」刊行。
(これ以降の二十年間は、周知の通り膨大な著書あり)
一九九三(平成五)年 七十歳。「深い河 」刊行。翌年英訳版も発行される。
一九九六(平成八)年 七十三歳。慶応大学病院で死去。