開高健に学ぶ 5
何のために書くのか
作家の永遠のテーマとして「何のために書くのか」という問題がある。作家それぞれ違う答えを持っているのだが、それを探求するのもおもしろい。私が昔から関心を持ってきた問題でもある。
開高健は自分の文学のテーマは「助けてくれ」の一言だと語っている。その理由についてはこのコーナーで四回に渡って書いてきたのでわかっていただけるものと思う。
司馬遼太郎のテーマは「二十歳の自分への手紙」。理不尽な戦争によっていつ死ぬかもしれない軍隊生活。破壊された国民生活。日本はなぜこんな国になってしまったのか。昔から日本はこういう国だったのか。日本民族とは何か。その根本的な原因を探りたいと思い立ち、歴史からひもといた。それがあの膨大な著作と資料収集となって具体化した。
遠藤周作は自分の信仰を深めるため。俺の小説は俺のために書いているんだ、というのが口癖だった。
藤沢周平は、自分の力では抵抗しようもない力に翻弄される人生の意味、生き方を探ろうとした。自分自身貧しい農家の次男として生まれ、高等教育を受けられる可能性は低かった。幸い親戚や知人の助けにより働きながら中学校夜間部を卒業し、山形師範学校に進学できた。師範学校といえば、当時のエリートである。同校を無事卒業し、教員として赴任したが、わずか二年後、肺結核にかかり長い療養生活に入る。六年後に退院して、業界誌に就職。この頃から小説を書き始めている。藤沢周平の時代小説には、過酷な運命に苦しみながらも、けなげに生きる名もない庶民の姿が哀愁たっぷり描き出されている。それが読者の共感を呼び起こしている。
こうした作家の文学について、司馬遼太郎が次の文章で簡潔に言い表している。
「本来、文学は自己の何事かを書いてうちうちの人々に読んでもらうことが原型で、ひろく不特定な読者を相手にするという一般理念の「文学」というのが特殊もしくは不健康なのである。」(『司馬遼太郎が考えたこと〈10〉エッセイ 1979.4~1981.6』、第十巻、一八頁。新潮社刊)。
ところが、これと正反対の動機、司馬遼太郎の言う「不健康」な動機で書いた作家がいた。それも堂々と。その作家はイアン・フレミング。ベストセラー「〇〇七シリーズ」が有名だ。開高健はイアン・フレミングが好きで、この作家について次の文章の中でそのすばらしさを簡潔に表現している。
「フレミングのダンナは、威風堂々、私は金のために書くのだ、私の本は汽車や飛行機のなかで読まれ、そしてそこへ置き忘れられるのだといいきった。(中略)著者は満々の自信をこめて私のは文学じゃないといいきり、二作か三作書いて金をつかむとスペインに牧場を買ってさっさと引退してしまった。こういうダンナ衆のあざやかな進退ぶりには毎度のことながら脱帽したくなる。まるで居合抜きである。おれは職人だ、ゲイジュツ家じゃないといいきって職人芸に徹するところが気持ちがいいのだ。思わせぶりなブンガク・ムードを漂わせたりしてもぐもぐと二枚舌を使ったりしないところが爽やかなのである。」(『最後の晩餐 』、一一五頁。文春文庫)。
堂々と「金のために書く」と宣言し、大人を楽しませる小説を書き、あざやかに引退してしまったイアン・フレミング。これもまた恐るべき才能である。
結局のところ、何のために書くのかは書き手次第ということになる。他人のマネをしようとしてもできるものではない。やる気もおきない。ほとんどの書き手が「自分のため」ということになる。「健康的」であれ「不健康」であれ、自分のやる気を呼び起こして書いていくのがもっとも才能を伸ばやり方である。そう決めたら余計なことは考えず、作品の完成に向かって集中することだ。
開高健は書き手に対しては広い心を持っている人だと思う。「二枚舌」や「偽善」には嫌悪するが、正直で才能ある書き手には賞賛を惜しまない。こういう心でいろいろな文芸作品を読んでいきたいと思う。