佐藤さとるに学ぶ 1
「書いては消し、消しては書いていた」
日本におけるファンタジー小説という分野を切り開いた作家がいる。佐藤さとるである。一九二八年横須賀市生まれ。『だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1\』(講談社青い鳥文庫)でデビューし、今年(二〇〇八年)で八十歳になる大御所である。
今回は佐藤さとるのファンタジー論を集約した名著『ファンタジーの世界』(講談社発行、残念ながら絶版)から、彼の経験談や文学観をご紹介したい。これも数回に分けて掲載していくことにする。
佐藤さとるは、中学生の頃から長編の童話を書きたいと思っていた。たくさんの本を読みつつ、自分でも童話を書き始めた。最終的にはプロになったわけでは、彼自身、自分の文章は下手だったという。
「私は長い長い童話を書きたい一心で、書いては消し、消しては書いていた。だから「下手の横好き」の見本だった。好きなことだから続いたので、きらいだったらこんなアホらしい仕事が続くわけはない。もっとも、私が好きだったのは話を創ることで、文章を書くことではない。それは今でも変らない。そのためか、いつまでたっても文章は上手になれないのである。
ただ、下手ではない程度の文章を、どうすれは書けるのかというのは、書いては消し、を飽きずにくり返すことだが--を、いやというほど知ってしまった」(佐藤さとる著、『ファンタジーの世界 』、二九頁。講談社現代新書)
文章がうまく書けるようになりたかったら、たくさん書き、何度も書き直すことを繰り返せ。そういうことをまず学ぼう。
ファンタジーを書くには空想力が豊かでなければならない。それを身につけるにはどうしたらよいだろうか。
「では、どうしたらそういう空想ができるのか、となると、だれにも教えられないし、たとえ教わったとしても身につくかどうかわからない。これは天性の素質だろうと思う。どうやら空想は技術ではないらしいので、いずれにしても教えたり教えられたりできるとは思えないし、「すぐれた空想の仕方」などという解説はとてもむずかしい」(前掲書、三六ページ)
- 空想力は天性の素質だという。とはいえ素質があるかないかは、やってみないとわからないものだ。初めからあきらめる必要はない。佐藤さとる自身も、いいヒントをつかむためにいろいろなことを試してみた。その一つが、おもしろい夢を見たとき、すぐにメモを取ることだった。
ところが、それはあまり役に立たなかった。うまくメモを取れないし、取れたとしても後で読み返すと、どこがおもしろかったのかわからないものばかりだった。
「こんなことは試してみれはすぐわかるが、自分の見た夢を自分に伝えることでさえむずかしいのである。まして他人には伝えにくい。空想の場合も似たようなものである。
以上二つのことから、空想したことをジカにとりだして記録するのは困難であり、無理に書いたとしても、おそらく空想そのものよりは格段につまらないものとなるだろう。だから、つかまえるためには、何度も気にいった空想を繰り返すことによって、まず、心の内側へたたきこみ、とり出しやすい形になるまで待つ必要がある。それも、意識してそんなことはできないので、この辺まではどうしても素質ということになるのである」(前掲書、三九頁)
ここで彼が言いたいことは、夢に頼るよりも日頃の空想に頼ったほうがよいということが一つ。気に入った空想があればそれを何回も繰り返すこと。それによって本人の心の深いところまでその空想が染みこむのである。その空想がある段階まで熟成すると、文章として取り出しやすくなる。そういうレベルまで待つこと。この三つだ。
しかしながら、こういうことも意識してできることではないので、やはり持って生まれた素質である、といっているのである。素質うんぬんはひとまず無視して、この三点についてしっかり覚えておこう。