上ノ山 明彦

井上ひさし伝 』 桐原良光

   井上ひさしという作家は、脚本遅筆のため公演をキャンセルさせてしまい、数千万円の違約金を支払ったり、いろいろな文章や言動で話題となったりしていますが、彼がいかにして作家になったか、どういう苦労があったかについて知るには、本書は最適の書籍です。
 孤児院での生活、そこで築き上げられた人格と考え方、テレビ・芝居と脚本家活動、作家活動、作品に対する世間の評価、演出家や編集者との出会いなど、どれも作家志望者の参考になると思います。

 井上ひさしの生き方・考え方もまた非常に個性的ですから、なにも全面的に彼に賛同する必要はありません。特に政治的な話や宗教的な話には、拒否反応を示す人もいると思います。
 ですから、「彼は彼、私は違う」という読み方でもかまいません。自分を貫き通してきた一人の作家の人生を、素直な心で受け止め、そこから必要なことを学び取っていただきたいと思います。

 私個人は高校生時代、ユーモア小説が大好きでした。遠藤周作、北杜夫、井上ひさしの小説は好んで読んでいました。
 当時を振り返りながら『井上ひさし伝』を読むと、当時はユーモアをベースにした小説・演劇・芸能に対する世間の評価が低かったんだな、と実感します。 現在でもたしかにいわゆる「お笑い」の芸術的評価は、「悲劇」よりも低いという傾向があります。
 そういう時代の中で、井上ひさしがどういう作品づくりをしてきたのか、本書を読むとそれがよくわかります。浅草フランス座での下積み時代、懸賞応募生活時代、NHKでの「ひょっこりひょうたん島」の脚本、評価を高めた演劇「日本人のへそ」の脚本、直木賞を受賞した小説『手鎖心中』、そして現在に至る過程が詳しく描かれています。

 ちなみに、井上ひさしの直木賞受賞作、『手鎖心中』も読むとよいでしょう。悲劇は喜劇の裏返しであり、喜劇は悲劇の裏返しであるという観点から書かれたものであると、私は解釈しました。司馬遼太郎がその選考評の中で、井上ひさしの才能を高く評価していること、受賞作の結末部分では吹き出してしまったことを述べています。
 
 最後に、本書では締め切りに間に合わないことが多い井上ひさしの姿勢に対して、関係者の批判の声がたくさん寄せられています。それはたしかに良くないことだと思います。そういう部分だけは見習わないようにしましょう。(自戒を込めて)。


井上ひさし伝 』 桐原良光 白水社