上ノ山明彦

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』  佐野眞一

 年末にあたり、2006年に読んだ本の中で、もっとも感銘を受けた本をご紹介したい。佐野眞一著、『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』 (文藝春秋刊)がそれである。この本に関連する『渋沢家三代』(佐野眞一著、文藝春秋刊)、 『忘れられた日本人』(宮本常一著、岩波文庫)も同時に読んで感銘を受けた。
 『旅する巨人』は民俗学者、宮本常一の生涯を中心に取材し記録した著書である。宮本常一を語る上で、その師渋沢敬三を避けて通ることはできない。それでサブタイトルが「宮本常一と渋沢敬三」となっている。
 この取材を通して渋沢敬三を語るには3代さかのぼり、渋沢栄一まで書かないと語り尽くせない、ということで『渋沢家三代』を書き上げたと佐野眞一は解説で述べている。

 私は二つの点から本書を推薦するものである。一つは読者の観点から、宮本常一と渋沢敬三の偉業を知り、日本人が失った大切なものを知るには本書が最高の著書だということ。宮本常一の話は司馬遼太郎のエッセイの中で何度も登場している。私は宮本本人の著書を読まねばと思いながら、ずっと棚上げしてきた。佐野眞一の著書は8年前に刊行されているが、これもまた読まずにいた。遅ればせながら今年読んだわけだが、もっと早く読まなかったことを非常に後悔した。この説明をすると長文になってしまうので、それよりも本書を読んでいただくほうが早いのでここでは省略する。
 もう一点は、ノンフィクション作家を志す人には、『旅する巨人』が非常に優れた教科書になるということ。その点について簡単に説明しよう。
 ノンフィクションはまず事実をできるだけたくさん集めることが重要である。本書を読むと、佐野眞一がたった1行書くために、いかに図書館で膨大資料を調べ、全国各地へ飛び、たくさんの人と会っているかがよくわかる。そこに費やされた労力、取材費は想像を超えるものがある。佐野眞一の事実へのこだわりのすごさを知らされる。ノンフィクション作家を志すならば当然のことではあるが、新進作家にとってはまるでヒマラヤを越えて行かねばならないような圧迫感を覚えるかもしれない。それでも越えて行かなければならないのだ。
 さらに感銘を受けるのは、佐野眞一のロジックのすばらしさである。ロジックというのは、自分が取材と分析で到達した結論まで持って行く論理のことだ。
 佐野眞一は話を展開するにあたり、読み手に変な先入観や偏見を与えないように注意深く書いている。
 人間には美点がたくさんある反面、その人の性格的な欠点、能力の限界、その人が生きた時代に左右される考え方の限界など様々なマイナス要因もある。そうしたプラス要因とマイナス要因を総合したものがその人を形作っているわけであるから、一方的に美点だけ描いても、逆に欠点だけ描いても、正当なノンフィクション作品にはならない。書き手が先入観や独断と偏見に満ちていれば、たちまち偏った作品となってしまう。

 佐野眞一の著書を読めば、彼が頭を真っ白の状態にして、まず事実をつかもうとしていることがよくわかる。そしてその人の業績や人間性に焦点を当て、それを描き出そうとする。そういう展開の中で、いくつか疑問が出てくる。その理由はどこにあるだろうと探り始める。そしてその原因を探り当てる。わからない場合は、最大限の可能性がある答えを導きだす。
 読み手は取り上げられている人物、ここでは宮本常一と渋沢敬三の人間性に触れながら、その業績も実感に近い状態で知ることができる。一方で時代背景からくる限界も知らされる。彼らのプラス要因もマイナス要因も、佐野の絶妙なさじ加減で描き出されるので、誤解や偏見を生み出す恐れがほとんどない。そういう流れの中で、最後に佐野眞一が到達した結論が披露される。読み手はもはや何の違和感もなく、その結論に納得する。すばらしいの一言に尽きる。ぜひ読んでいただきたい。

 余談だが、「○○主義」や「○○教」などのイデオロギーに凝り固まった人の書く文章は、最初から結論が決まりきっているために、対象となる人物を正しく描き出すことができない。たとえば経営者が出てくればすべて極悪非道の資本家となり、政治家が出てくればすべて悪徳政治家となり、宗教心を持たない人が出てくれば地獄に落ちるしかないような堕落した人間となってしまう。ある人間の全体像は、一面だけでは描き出せないものである。書き手がある思想や信仰心を持つのはかまわないが、それによってまともに人や物事を見たり感じたりすることができなくなっては作家失格である。佐野眞一のように、プラス要因もマイナス要因も取り込んで全体像を描くことができるようにしたいものである。

 最後に、宮本常一著、『忘れられた日本人』について一言。本書は宮本が日本全国を旅し、老人たちから昔話や伝説を聞き取り、それをまとめたものである。江戸時代から戦前まで、地方ではあまり変化のない生活が営まれていたことがよくわかる。そうした村社会にはどろどろした悪い風潮も一部にはあったが、それにもまして寛容さがあった。たとえば、何かがあって村に流れてきた夫婦が、空き家になっている寺に住み着いたとしても、追い出すどころか食べ物を与えるのである。漁村では孤児になった子供を舟に乗せ、大人になるまで漁師全員で面倒を見るという共同体があった。
 今述べたことは本の一例に過ぎない。日本にはもっともっとたくさんの寛容さがあった。それをいつからなくしてしまったのだろう?それを取り戻すことは可能なのだろうか?結論は悲観的にならざるをえないが、なんとかできないものだろうか。