『創作力トレーニング』 原 和久
小説やエッセイ、ノンフィクションなど文芸で才能を発揮する人は、なにも中学、高校の文芸部出身である必要はありません。むしろ、そういう部活動では、画一的な指導がなされる心配があり、個性と才能を伸ばす上で害となる危険性もあります。 学校の国語が嫌いで文章を書くのが嫌いだった、という人の中に、驚くべき才能が隠されている可能性のほうが多いのではないか、と私は考えているくらいです。 学校教育は受験勉強優先です。国語も例外ではありません。画一的な「読解力」や「文章力」が試され、そこから外れると「落ちこぼれ」となります。果たしてそういう教育で、個性豊かな表現力を持った才能が育つかというと、非常に疑問です。私はそういう問題意識を持って、HPやメルマガ、インターネット講座を運営してきました。 しかしながら、エッセイ、コラム、教材などの執筆については、まだまだ書き足りないと感じています。 そんなところに、著者本人から非常に参考になる本の書評依頼が届きました。1月20日に発行されたばかりです。それはこの本です。 『創作力トレーニング』、原和久著、岩波ジュニア新書。定価780円+税。 著者は、アメリカの学校で日本語講師を務めた後、現在千里国際学園、大阪インターナショナルスクールにて日本語の教育にあたっている人です。 本書は小説やエッセイだけではなく新聞記事、戯曲、歌詞、漫画など多彩なジャンルを取り上げて、実践的な勉強法を示しています。 アメリカの学校教育の中で、著者はその教育方法に驚きました。 「なかでも一番びっくりしたのは、教室や図書館で子供たちがごく自然に小説や詩、あるいは日記や漫画などを楽しみながら書いている姿でした」(「はじめに」より)。 日本では受験勉強の弊害があります。卒業して社会に出たとたんに、学校教育の貧困さに気づくことになります。著者は言う。 「詩を書いて感情を表したり、漫画や小説を書いて想像力を養ったり、新聞に投書して意見を表明したりすることも、「映画」を見たり、「音楽」を聴いたりすることと同じくらい、生活に潤いを与えるための大切な要素なのです」(同)。 まったく同感です。学校での国語教育は、生徒を高得点獲得マシンにするための教育であり、感性や表現力を伸ばす教育にはなっていません。 ただ批判ばかりしてはいられません。教育の場で、教育者にどういう実践が求められているのでしょうか?それについても著者は答えています。 「実践トレーニングを「美術」「音楽」「社会科」などの他教科とも連携しながら行っているということです。 つまり文学作品を読解した後には、必ず表現の技術を分析し、そして分析した後には、その技術を本当に自分のものにできたかどうかを確認するためにオリジナル作品の創作をする、という一連の流れがあらかじめ用意されているのです」(同)。 これについてもまったく同感です。実際、文学作品、漫画、戯曲(シナリオ)の教材を見ながら、自分で文章を書く練習が、本書の中で示唆されています。 このやり方は、大人が小説やエッセイなどの書き方を習得する場合にも当てはまります。私もインターネット講座で、これとほぼ同じ方法を取っています。子供たちの才能を伸ばすにも、非常に有効な方法だと思います。 「そして最終的には、個人の感情や考えを誰かに伝えるための、あなた自身の言葉を見つけてほしいと思います」(同)。 いやあ、まったくそのとおりですよね。 学校でちゃんと勉強しなかったから、文芸作品なんてとても書けないと思っておられるあなた。今からでも全然遅くありません。本書で「基礎の基礎」を勉強されることをおすすめします。 (2005.1.23) |