文語体には、日本語が持つリズムの心地よさと美しさが体現されています。昔の作家たちが文語にどう取り組んだのか、文語体のすばらしさの秘密はどこにあるのか、著者が熱く語ってくれます。
実例を見るのが一番早いので、上田敏訳の有名な詩、ヴェルレーヌの「落葉」をここでご紹介しておきましょう。
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
想い出や。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落ち葉かな。
私たちがふだん使っている現代口語文では、文末は、です、でした、ます、ました、あるいは、である、だ、だった、る、た、と体言止めくらいの変化しかありません。
文語体には、なり、けり、き、かな、や、む、し、というふうに、多彩で美しい変化と美しいリズムがあります。
著者の山本夏彦は、昔に帰れと主張しているのではありません。初めに言葉があって、文字はそれを目に見える形にしたものです。だから口で語ってわかり、リズムがあるのが本当の文であると言いたいのです。朗読に堪えない詩は詩ではないとも語っています。
現代日本では、日本語に英語が交じったわけのわからない日本語も登場しています。それがある狭い世界ではまかり通っています。日本語を失うということは、日本人としての存在を失うことです。日本語の美しさは一つの伝統として、しっかり後世に伝えていきたいものです。
(評者: 上ノ山明彦)