上山 明彦

松本清張 『推理小説作法』

 「こんなにいい本が出ていたのか」と思うことがたまにある。松本清張関係の本を探していたときに見つけた本が、『推理小説作法―あなたもきっと書きたくなる』(光文社発行)である。清張を含む5人の作家が、推理小説の歴史からトリック、鑑定法、推理小説の書き方等の要点についてわかりやすく解説している。これは昭和三十四年(1959年)に発行された本であるが、その内容は少しも古くなっていない。
 特に、江戸川乱歩が世界の探偵作家たちによるトリックを分析した「トリックの話」はおもしろい。『江戸川乱歩全集 第27巻 続・幻影城』(光文社発行)にそのトリック集成が収められているから、そちらも参照していただきたい。もうトリックは出尽くしたのではないかと思わせる反面、新しいトリックを考えついた作家は天才と呼んでも差し支えないことがわかる。
 中島河太郎は欧米と日本の探偵小説・推理小説の歴史を紐解いてくれる。欧米では、初めは謎解きだけが小説の中心となっている探偵小説が登場し流行した。その後、現実味のある人間や社会を描きつつ謎を解き明かす推理小説へと発展していった。それが日本の作家にどのように影響したか。日本で推理小説が発展していく上で、松本清張がどのような役割を果たしたか。作家にとって絶対に知っておきたい歴史の流れについて、非常にわかりやすく解説してくれている。
 いろいろな本で紹介されているように、松本清張は推理小説に「社会的動機」を織り込むことに成功した。それによって推理小説に深みと味わいを持たせることができた。推理小説で扱う殺人には様々な「動機」がある。そのほとんどが金、恋愛、親子や友人間での感情のもつれなど個人的な動機に基づいている。清張はそれに留まらなかった。「社会的動機」を取り込んだのである。
 では「社会的動機」とは何か?清張の作品の中にそれを探してみよう。戦後の混乱期、米軍相手の娼婦だったある女が上流家庭の婦人となり、過去を知る人間を殺してしまう「ゼロの焦点」。当時極端な差別を受けたライ病の父親がいたという過去を、ある恩人だけが知っている。その人を殺してしまう新進気鋭の作曲の殺人を描いた「砂の器」。清張の言う「社会的動機」というのは、「個人から社会へ広げた、社会悪というか、社会的な組織の矛盾というか、そういうもの」なのである。
 推理小説で社会的動機を描くといことは、登場人物の人間性から周囲との人間関係、社会的背景について深く描くということだ。それが推理小説を単なる謎ときゲームから文学の域へと高める役割を果たしたのである。松本清張が日本の推理小説を大きく変えたといわれるゆえんである。

 「われわれが、ふつう平凡な日常生活を送っているときには、まったく影をもとどめていないように見えるけれど、じつは、自分でもきのつかない意識を心のどこかに持っている、ということが考えられるのです。そして、ひとたび、なにか異常な事件にぶつかると、ヒョイとその隠された意識が飛び出し、それが行為に発展するのではないかと考えられます。したがって、隠された意識、われわれが気がつかないところの第二の意識、奥底の意識をひき出して、それから起こるところの事件なり犯罪は、それこそ相当人間性の突っ込める分野ではないかと思います」(『推理小説作法』、195頁、光文社刊)。

 動機を追及して犯罪を描くということは、性格を描くことであり、人間くさい人間を描くことであり、人間社会を描くことである。
 恐ろしいことには、殺人というものが自分とは無関係な突飛な出来事ではなくて、誰もがが突然被害者にも加害者にもなりうるということがわかってくる。

 「そうして、人間関係は、一見密接した関係のように見えるけれども、じつは、これほどおたがいの間が孤絶した状態は今日のほかない。そこでわれわれが、こういうものを描こうとしたとき、推理小説的な手法を用いることによって、はじめて、ほんとうの意味での不気味さ、恐ろしさが描かれるのではないかと思うのです。その意味で私は、これから、推理小説の枠はもっともっと広げられ、大勢の人たちが、この方法によって、現代を、そして、現代に生きる人間を描いてほしいと願うものであります」(前掲書208頁)。)

 しかしながら、清張は動機を盛んに強調しながらも、トリックの重要性を否定しているわけではない。清張の考え方は次の引用に的確に述べられている。

 「まず、これからの推理小説は、ストーリーの面白さがたっぷりあって、その上に、いま述べましたトリック的な面白さ、あるいは意外性の面白さの味を加えたものになるのではないかと思います。また、動機の面から考えてみますと、いままでのものは、個人的な面のものが非常に強かったと思います。たとえば、金銭的なトラブルとか、愛欲、あるいは宝探し、または復讐など、個人的な利益や感情と結びついた動機が多かったのでありますが、これからの推理小説の方向としては、もっとそれを個人から社会へ広げた、社会悪というか、社会的な組織の矛盾というか、そういうものに動機を求める小説が今後の傾向として考えられると思うのです」(前掲書245頁)

 現在活躍中の作家の書く推理小説では、「社会的動機」があたりまえのように描かれている。たとえば宮部みゆきの作品では、「競売」をめぐる殺人事件を扱った「理由」、借金地獄とクレジットカード破産をめぐる殺人を描いた「火車」などがある。こうした推理小説も、実は清張に原点があったのである。
 松本清張は『推理小説作法』の中で、自分の発想法、ヒントから作品に仕上げるまでの作業法など、具体的な小説作法について解説してくれている。ぜひ参考にしていただきたい。
 本書が発行されたのが1959年だが、その基本的内容は少しも古くない。その年以降の推理小説の歴史やDNA鑑定のような最新の鑑定法を付け加えるだけで、本書が推理作家志望者にとって最もすばらしい入門書となることだろう。現在の人気作家の手による『推理小説作法』をつくってみたいものである。