舘野泉、「ひまわりの海」
世界的に有名なピアニスト、舘野泉が2002年1月、演奏終了後に脳溢血で倒れました。右半身不随になりました。一時はピアニストとして再起不能かと絶望した時期もありました。それから2年余りのリハビリ生活を経て、左手だけで演奏するピアニストとして再起を果たしました。そこに至るまでの話が、舘野泉著、『ひまわりの海』に書かれています。 私が最も感銘を受けた部分は、ある演奏会場で視聴者からの質問に答える場面です。あなたはこれまで長い演奏活動をこなしてこられレパートリーも膨大なものがあった。 それが今は左手だけで演奏を強いられる状態となった。それについて口惜しくはありませんか?というような質問でした。 それに対する舘野泉の回答が、次の引用部分です。「今感じているのは音楽の喜びだけである」という言葉がすべてを物語っています。 <引用> 「口惜しくないとは言えないだろう。今まで弾いてきた音楽を、どうして忘れ去ることができようか。ひとつひとつが長い年月をかけ、自分の血となり肉となっていったものである。多くの人々と共に、喜びも悲しみも分かち合ってきた曲ばかりである。しかし、これもありのまま正直に申し上げるが、今感じているのは音楽の喜びだけである。音楽がまたできる、指を通じて全身が、自分の全存在が楽器に触れ、聴いてくださる方々と、そしてこの世界と一体になっていく、その感覚だけである。あれができない、これができないではない。ないない尽くし気持ちは振り払ったり、見ないようにしているからないのではなく、音楽そのものをしている充実感が溢れていて、何も不足を感じていないからである。左手だけで演奏することにも、なんら不自由は覚えない。演奏をしている時には、片手で弾いていることさえ忘れている。充足した音楽表現ができているのに、どうして不足など感じることがあろう。」 『ひまわりの海』、240ページ。舘野泉著、求龍堂刊) 左手だけで弾くからといって、伴奏だけを弾くのでもなく、メロディだけを弾くわけでもないのです。両方弾きます。左手を最大限使って、自分の音楽を奏でるということになります。それがいかに大変かがわかります。 次のサイトで試聴できますので聴いてみてください。どれもすばらしい曲と演奏です。 <WACCA> http://wacca.tv/m/listen/avcl25138 日本語ではよく「片手間仕事」という言葉を使います。「本業の余暇。用事のひま」(広辞苑)で行う仕事という意味です。「片手で行うから簡単な仕事」と考えるのは、大きな間違いであることがわかります。安易にこういう表現を使うと、たくさんの人を傷つけてしまう恐れがあります。自分がそれまでそういうことまで深く考えて言葉を使っていたか?そう問われたような気がしました。深く反省です。 舘野泉はフィンランド在住ですが、今年も日本各地でコンサートを行う予定です。ネットで検索して参加しましょう。私も聴きに行くつもりです。 (2008.2.26) |