明治
幕末までこの地は、松平肥前守等の屋敷でした。明治になり
陸軍近衛師団の練兵場となり、その後、本多静六博士が「都市
公園」として設計し、明治34年に造成に着手し明治36年6
月1日に日本で最初の洋風近代式公園として開園しました。広
さは161,363u(約48,897坪)です。
その後、図書館、公会堂、音楽堂などが設置されましたが、
大戦が始まると樹木は伐採され園地は畑となり、外柵等は、金
属回収の為撤去されました。戦後は、連合軍に接収されていま
したが、解除後の昭和26年頃から復旧が始まり昭和36年9
月に大噴水が完成し新しい公園のシンボルとなりました。
大正14年ヤップ島支庁長より
寄贈された石貨です当時1,000
円位で通用したそうです。
地中海地方原産で、秋から春が花期
です。和名は「豚の饅頭(ブタノマンジュウ)」と「篝火草(カ
ガリビソウ)」の2種類があります。前者は豚が好んで球根を
食べたことから。後者は、日本の貴婦人が(大正三美人と称
された九条良致公爵夫人の武子様だと言われています)「篝火
のような花ですね」と言ったのを聞いた植物分類学の草分け
牧野富太郎博士が命名しました。