神田川に架かるこの橋は、
1923(大正12)年の関東
大震災後の帝都復興事業の
一環として1927(昭和2)
年に完成しました。
名前は、都が公募し湯島側の湯島聖堂と駿河台側の
ニコライ堂を結んだ事から、聖橋と命名されました。
独特のアーチ形をしています。JRお茶の水の駅が
できたり周りの風景も変わりましたが、橋そのもの
はまったく変わっていません。
五代将軍徳川綱吉は、儒学の振興を図る為1690
(元禄3)年湯島の地に聖堂を創建し、林羅山が上
野忍が岡の私邸に建てた孔子廟「先聖殿」を移築し
「大成殿」と改称しました。又、林家の塾もここに
移転し付随する建物も「聖堂」と呼ぶように改めま
した。これが湯島聖堂の始まりです。その約100年
後の1797(寛政9)年に幕府直轄学校として、世に
名高い「昌平坂学問所」を開校しました。維新後新
政府に引き継がれましたが1871(明治4年)に閉鎖
されました。
本州、九州、四国の河川、水田、水路等
に群生します。最近では、水域の埋め立や除
草剤の影響で絶滅の危機に瀕しています。
「皐月躑躅」さつきつつじを省略
したものでつつじの一種です。江戸時代から
人気が有り園芸化がすすみ、現在では1500
種があると言われています。