<特別インタビュー 田代正昭有田町長>

日本磁器誕生・有田焼創業400年事業の意義について

 朝鮮半島から日本に連れてこられた李参平という陶工が、有田の地で磁器の原料となる鉱石を発見し、1616年に日本で初めて磁器を焼成したといわれています。日本での磁器誕生の年です。
 江戸時代に有田で誕生した「古伊万里」、「柿右衛門」などの様式は、欧米各国の人々に鮮烈な感動を与え、高い評価を得ることになりました。そして海外との貿易において、有田焼は大きな比重を占めることになりました。有田焼の技法は、その後遠くヨーロッパの名窯マイセンにも大きな影響を与えました。
 また江戸期を通じて、「鍋島」様式は宮廷、大名、武家社会等で愛でられ、皿山で生産される陶磁器は広く日本全国の庶民の生活にも、深く根ざすようになりました。
 そして来る2016年(平成28年)、有田は、創業400年という記念すべき年を迎えます。「日本磁器誕生・有田焼創業400年事業実行委員会」の委員長であり、有田町長でもある田代正昭氏に、その意義についてお話を伺いました。

<2012年11月5日 有田町役場にて>

有田焼創業400年事業ロゴ

1. 有田町長 田代正昭氏プロフィール

田代正昭有田町長

・佐賀県西松浦郡有田町大野 在住
・昭和17年10月4日生
・昭和36年 佐賀県立伊万里農林高等学校卒
・昭和54年4月 旧有田町議会議員 (7期)
・平成15年4月 旧有田町議会議長
・平成18年4月 新有田町議会議長
・平成19年1月 佐賀県町村議長会会長
・平成22年4月16日 有田町長
セラミー
マスコット・キャラクター「セラミー」

Q 本日はお忙しいところをお時間を割いていただきありがとうございます。さっそくですが、400周年の自治体としての位置づけ、その意義について教えていただけますか。

田代町長

 ご存じのように李参平が、1616年に泉山で磁石鉱脈を発見して以来、まもなく400周年を迎えます。しかしながら創始以来、有田焼は順風満帆な時代ばかりではなかったと思っています。
 その中で、300年祭(1916年)、大正5年になりますけれども、陶山神社の後方、蓮華石山中腹に李参平の碑を建てました。
 その後、350年祭(1966年)、昭和41年になりますけれども、そのときは名誉総裁に鍋島家13代の鍋島直泰氏に就任していただき、町内外の方々に役員となっていただいた組織を作って、350年祭には何をするか、ということを決めて取り組みました。例えば九州陶磁文化館、先人陶工の碑、窯業大学校の建設や町史の編さんなどを計画し、後に整備をしてきました。
 それから約50年経ったわけですけれども、350年祭前後にかけては、戦後の復興ということで、かなり日本の経済も右肩上がりをしてきておりました。
 しかし現在は平成2,3年をピークにして、有田焼全体がかなり疲弊してきていますので、できれば400年祭を窯業の再生の元年にしたいと考えております。そこから上りに向かうように400年祭を位置づけて、50年後、100年後に産業陶磁器として、また伝統産業として、有田が発展していくような仕組み作りが必要ではないかという考えで、現在400年祭の準備をしているところです。

Q 400周年記念イベントの構想について教えてください。

田代町長

  2011年から実行委員会を立ち上げています。2016年までに実施する事前事業、2016年に実施する400年祭、2017年以降にも継承する事業という3本の柱が決まっております。
 特に事前事業につきましては、有田焼の名品を全国で展示して、もう一度全国の皆さんに有田焼の素晴らしさを知っていただくこと、そして、販売もするというような計画案を練っているところです。それによって、有田焼はもちろん、窯業全体の振興を図りたいと考えています。
 そのほかにも、事前事業としていろいろなイベントを企画しているところです。 2016年の400年祭には、イベントとして「世界陶磁器フェスティバル」という形で取り組んでいきたいと考えているところです。2016年は有田だけでなく、ほかの産地ともつながりを持ちながら、佐賀県と共同しながら、そのような事業を実現したいと考えています。
 継承事業としましては、有田にはいろいろな歴史的遺産がありますので、それを整備していく計画を持っております。
 さらに、窯業の技術やデザインなど専門的分野を発展させていくために、芸術工科大学構想があります。 具体的な構想は未定ではありますが、実現させる方向性で考えております。

Q 陶磁器を取り巻く経済環境は、非常に厳しいと聞いております。産地としてどのように受け止めていらっしゃいますか。

  窯業関係は有田ばかりでなく、世界全体が落ち込んできています。必ずしも有田だけが悪いというわけではありません。その原因を考えてみますと、やはり人が焼き物を使わなくなったといいますか、安い外国製品に席巻されたということになると思います。
 400年祭を契機に歴史を振り返り、今まで伝統を築いてきた先人の偉業に感謝をしたいという気持ちも持っております。
 そして、有田を含む産地の振興と発展を図らなければならないと思っております。有田はマイセンや景徳鎮と友好都市を結んでおりますが、陶磁器産業を有する国や産地との交流の活性化を図り、国内外に広く情報を発信して、できれば有田を「陶磁器産地のメッカ」にしたいと考えております。
 世界から見ても、有田は景徳鎮に次いで、磁器作りの歴史を持つ町です。400年を迎えるという伝統を大切にしながら、世界の有田をめざしてもおかしくないと思っております。今後は「世界の有田をめざす」取り組みを強化していきたいと考えているところです。

Q 産業の振興に加え、伝統文化の継承者の育成という課題もあります。その点はどのようにお考えでしょうか。

田代町長

 モノが売れるようにならなければ、後継者育成の環境も整わないと考えています。後継者を育てなければならないということはわかっていますが、経済的な問題も関連しますので、むずかしい課題だと考えております。
 ごぞんじのように、ほとんどの日本の伝統産業の産地は疲弊しております。漆器でも、織物産地でも、非常に難しい局面でございます。伝統文化を守るということは重要なことですけれど、簡単には解決できない問題であろうと思います。
 特に私たちは焼き物という伝統文化ですので、食と器、つまり食生活と深く関わるものでございます。日本人がもっともっと和食文化をたしなんでいただけるようになれば、自然と焼き物も使われますし、いろんな面で効果が出てくると思われます。逆に、和食文化を大切にしていかなければ、食器も自然と廃れてきます。日本人が和食文化を大切にするようになることが、経済的な問題や後継者育成の課題の解決につながるのではないかと思います。

Q 日本人がもっと陶磁器を大切にするようになるためには、何が必要であると思われますか。

田代町長

 子供時代から焼き物に触れさせる機会が大切だと思います。例えば粘土を使って焼き物を作ったり、絵を描いたり、そのようなことをしながら、自然と陶磁器・焼き物などに興味を持たせる。そういうことをしていかないと、なかなか根付いていかないと思います。小さいときから焼き物に親しみを持たせることが大切だと思います。
 実はそれは焼き物に限らず、農業においてもほかの産業においても、非常に大切なことです。そのような形で小さいときから興味を持たせれば、自然と自分がやりたいことをやっていくでしょう。親が押しつけるのではなく。子供自身が興味をもって自分の人生を切り開いていくと申しますか、そういう形で進んでいくだろうと思います。
有田の地から、国民の皆さんに伝統文化を大切にしていただくためのアピールを行い、同時に産地が発展していくように取り組んでいきたいと思います。
 さらに、今はグローバル化しておりますので、「世界の有田」をめざして、全世界に情報を発信していくことが、日本文化の発展普及にもつながっていくと考えているところです。2016年の「日本磁器誕生・有田焼創業400年」事業にぜひ注目していただきたいと思います。

 貴重なお時間をいただきありがとうございました。


(聴き手 DAYO本舗)