第2章 厳しい修行から得たもの

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下記にテープ起こし原稿を掲載します。話の中で省略された言葉を多少補足してあります。

1.伝統的技法へのこだわり

Q 先生がこだわっておられる技術につきまして、我々がわかる範囲で教えていただけますか?

村島昭文
 同じ伝統工芸品の中でもですね、陶芸ブームのときに勉強して、絵描きさんになったり、ロクロをする人が多いもんですから、なかなか伝統技法、昔ながらのそういった技術がですね、絶えてきてるもんですから。
私は技法にちょっとこだわりがあります。「内山」「外山」という流儀があるんですよ。微妙な形ですけどね。
 いろいろ、陶芸部門に入って2,30年がんばってこれたんですけど、その前の30年間というものが、明治の職人さんたちに仕込まれてきた技術です。そこが若干違うわけですね、技法としても。専門的に知っている方には話せばわかるんですけど、微妙な形なものですから、私はあえてそれを残したいと思っています。
 そのへんが、今流行りの陶芸家志望、そっちのほうが多いもんですから、なかなか私たち細工人という職人としての修行は時間がかかりすぎるもんですから、なかなかそっちのほうには向きません。

 私は深川製磁に入社して以来40年間、宮中の御用達、昭和天皇から美智子妃殿下、いまの平成天皇の食器を専門に作ってきました。そのときの記念品がここにあります。あまりおおっぴらに宣伝できないものですけど。

 有田というのは、高級美術品を焼く窯元と、一般食器を焼く窯元が、昔は内山、外山に分かれていたんです。下の踏切があって、そこからこっちが内山といって皿山です。超高級品、香蘭社、深川製磁、今衛門さん、そういう高級美実品を作る窯元なんですよ。
その中で内山流儀というのは、道具を使う形が内山と外山では違うわけですね。

 内山、外山の本当の意味は、内山のほうは高級美術品を作るから道具を使う手順もですね、一つ二つ多いんです、説明すれば、動かし方が、外山というのは1ランク、2ランク安い、大衆向きですね、そういったものを焼く窯元の作法なんです。
 私はたまたま15歳から内山で育ってきてですね、最終的には定年になるまで深川製磁に40年間いました。
 私が一番勉強させていただいたのは、二代目社長、深川進さんでした。あの人は社長であって、ものすごく仕事に対しても厳しかったし、作っているときは磁器に触れることはできないから、「おう、がんばりおんのう」と、必ず毎日1回は回ってきましたね、私のところに。
 そして仕上げていって、乾燥して仕上げる段階では手で扱います。そのときは普通触るんです。社長は触ってみて、目をつむって厚みを触ってみて、「あと一かなじゃ」と。「あと一かな」といわれると、一かな、二かな、かなを入れて仕上げなければなりません。それだけ技術的に厳しい作業に入り込まなければならないんです。そのへんがたいへんです。
 深川での、自分なりの言い方をすれば、宮内庁関係の仕事を40年間させていただいたおかげで、今の作品ができるようになったわけです。私のものは絵が透けてみえますからね。

 手作りだからこういうふうに薄くできるんですよ。これが型だったら、薄い部分に肉が入り込まないから、どうしても腰の厚みとフチの厚みが違う。手作りだとどういう形にでもできます。