第2章 厳しい修行から得たもの

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下記にテープ起こし原稿を掲載します。話の中で省略された言葉を多少補足してあります。

2.職人気質の大切さ

 陶芸がブームになってからの30年と、私が習った30年前の技法というと、全部我流になってしもうとるんですよ。最初はちゃんとした先生について習っていますけどね。職人でがんばるということが、今の人はないでしょ。窯元に入って職人として働くということがない。ほとんど独立しますからね。
 独立すれば、やかましゅう言う人がいないんですよ、技術に対して。それを今の人は、私たちが作ると一日でクビになるようなものを平気で作る。手作りじゃけん、と。有田弁で言うと、「ふとうこもうあっとさん」、と。厚かったり薄かったりするのが、手作りとだからというて、今の人はそういう言い方をして売りますけど。私たちがそれをやると、「明日から辞めろ、こんでいい」と言われたものです。そういう人は一人前の職人にはなれなかったですね。
 基礎勉強というのが、おろそかになっています。今では簡単にロクロも電動で回りますから。私の場合は、15年も蹴りロクロでやっています。

 本当の焼き物の良さというものは、濡れたおしベラで形を整えるときにですね、自然に回転に応じて土が寄ってくるんですけど、電動ちゅうのは変速で回転が落ちますけど、止まるということがない。ですから、一番大事な口先が開くんですよ。外れていくんです。蹴りロクロの場合は、回転が止まってきますから、伸びた土がかぶってくるんですよ。そこが手作りと機械の違いです。
 そこができるような職人にならんといかんのですけど、「電動で作っても蹴りロクロでつくっても、ぜんぜん変わらん」と言うので、「あんたたちが本当の経験、修行しとらんけん、そういう言葉を使うとよ」と、私は応えます。」

 本当に焼き物を知っている人は、「なんかあんたんとは妙に違うもんな」と言います。言葉で説明できないような丸みとか柔らかさが、手作りでは出てくるんです。そこまで今の人は勉強せんから、ちょっと難しいところもあるだろうと思いますね。 

 私が一番頭に残ってるのは、初代奥川忠衛門先生のところに、大物は作ったことがなかったから、会社でも作らなければならんようになったわけですね。それで私が「勉強したい」と言ったら、会社が「奥川先生のところに行け」ということになった。週に1回くらいしか行けなかったですけどね。
 先生が言われるには、手作りだからといって復元さえすればよい、というのではない。手作りの良さというのは、品格、品のある焼き物をつくること。言葉で言うてもわかりませんよね、なかなか。
 行くたびに、教わるというより、その言葉だけが頭に残りました。上品にできるような品格のある仕事を覚えろと。作るたびにそれを思い出すわけですよ。それで自分なりに工夫して作っていくんですけど。

 一生職人で終わるなら、やっぱり細工人として人には負けたくないなという気持ちがあって、いまだに挑戦です。まあ、職人というのは何の仕事もいっしょでしょうけど、これでいいということはないですからね。いいものができたらできたで、この次はもっとと、欲が出ますから。そういうことを思いながらする人は、職人として息が長いんじゃないでしょうかね。自分はそう思います。