江戸の恋     上山明彦

奉公人の恋

  一口に「町人」といっても、職種、階層など多種多様である。そこで今 回は大きな商店に奉公した男と女の恋を取り上げたい。
 その代表的な話は、元禄時代に活躍した近松門左衛門の『曽根崎心中』 である。これは実際に起きた事件を題材にしている。
 元禄16年4月(1703年5月)早朝、大坂・天満屋の女郎はつ(21歳)と醤 油商平野屋の手代徳兵衛(25歳)が曽根崎の露天神の森で心中した。これ が当時大変な騒ぎとなった。近松は実話にフィクションを加え、人形浄瑠 璃として発表。それが大評判となった。
 徳兵衛とはつは、なぜ心中しなければならなかったのか?遊女というの は普通遊女屋に借金を抱えている。売られてくる時に、親や親戚その他に 支払われたお金の代金だ。それを数年間体を売って返す。もし男が遊女と 結婚したかったら、その残金を遊女屋に支払って身請けすればよい。要は お金の問題なのだが、その金額は大きい。商店の手代が払える金額ではな い。それがまず一つの壁である。
 もう一つの壁は、当時の奉公制度にもある。丁稚(でっち)奉公で店に 出るのがだいたい10歳くらい。数年間雑用する中で、手代(てだい)に昇 格する。手代は主人と番頭の指示で働く。それをうまく勤め上げ認められ れば番頭(ばんとう)に昇格する。その中で特に優秀な者は、30歳前後で 独立(暖簾分け)させてもらえる。その間、順調にいっても20年間の奉公 生活である。
 手代以下、小遣いをもらえることがあっても、給与というものはなかっ た。食事が与えられ、商人としての教育が与えられる。それだけ十分とい う考え方だったのである。休暇も盆・正月の2回(藪入り)だけだった。 手代が大金を貯めるということは、普通に考えれば不可能なことだった。
 その一方で豪遊していた商人も多かったのだから、それだけ貧富の差が 激しかったわけだ。
 さらに、奉公人の自由恋愛は禁止されていた。例えば奉公人の中にも、 女中奉公の女がいる。奉公中の男と恋に落ちても、主人に報告されてしま うと店から追放されてしまう。奉公人にとって主人は殿様のような存在で、 その命令は絶対だった。そこにも悲恋がたくさんあったはずだ。
 こういう条件を考えると、手代と遊女が身請けして結ばれる可能性は、 ほぼゼロだ。せいぜい小遣いをせっせと貯めたり、売上金をごまかしたり、 高利貸しから借金したりして遊女屋に通うくらいしか方法がなかった。将 来に絶望し心中に走る気持ちはわからないでもない。
 一般に、許されぬ恋のほうが燃え上がると言われている。現代ならば、 妻子ある人との恋、人妻との恋、貧乏な男と社長令嬢との恋、限りある命 を運命づけられた人との恋、といったところになるだろう。恋愛小説では、 できるだけその壁を厚くして、ヒーローとヒロインの悲嘆を強くし、読者 に感情移入してもらうというのが常套手段である。これはケータイ小説で 受けるパターンでもある。
 ちなみに、この丁稚・女中の奉公制度が廃止されたのは、第二次世界大 戦後だ。65年前のことだからそう古くはない。その痕跡が日本の企業には 残っていないだろうか。

●参考文献
近松門左衛門 『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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