江戸の恋     上山明彦

 遊女の恋(3)

 前回のロマンチックな恋の後で恐縮だが、現実的な話もしておかなけれ ばならない。いわば裏事情の話で、小説としては書きにくい話である。
 物事には必ず裏表がある。どちらも事実は事実として捉え、センセーシ ョナルにも興味本位にもなってはいけない。そういう立場で私はこの問題 を取り上げたつもりである。誤解のないようにお願いしたい。
 江戸時代の男と女が肉体関係を持つ場合、気になるのが性病と避妊、中 絶の問題である。特に遊女はその問題が深刻だったはずだ。
 性病の中で梅毒は1512年に日本に伝染したという記録が歌人・三条西実 隆の『再昌草』にある。当時の中国・明との貿易か海賊(倭寇)によって 感染したのではないかと言われている。
 梅毒は江戸時代は「瘡毒」(そうどく)と呼ばれていた。参勤交代に伴 って江戸詰になった下級武士が遊郭で遊び、この病気に感染することから、 脚気とともに「江戸患い」とも呼ばれていたようだ。
 ちなみに、脚気のほうは江戸では白米を食べることが多く、ビタミンB1 不足になり、脚気になってしまうところからきている。
 梅毒は江戸時代に急激に拡がり、下級遊女の大半、遊郭で遊ぶ男の大半 が感染していたという話もある。杉田玄白の回想録『形影夜話』には、年 間1000人の患者のうち700〜800人は梅毒だったと書いてあるという(この 本の現代訳版は絶版になっているので、私は未確認)。統計がないので何 とも言えないが、江戸の町人、武士の感染率はかなり高かったに違いない。
 では、感染しないように何か対策をしていたかというと、これが何もし ていなかったようなのだ。「甲形」(かぶとがた)というべっ甲で作った 現代のコンドームのような道具があったという話もある。でも、それは疑 わしい。感染予防用としてはちょっと無理がある。避妊用としても同様だ。 どう考えても、硬すぎ、重すぎなのだ。おそらく「大人のおもちゃ」とし てのみ使われていたのではないだろうか。
 当時梅毒に有効な薬はなく、野放しの状態だった。ペニシリンができる のはずっと後のことだ。梅毒感染後の薬としては、水銀入りの錠剤や軟膏 があった。これは水銀中毒を引き起こす危険性があった。これも恐ろしい 話である。
 しかしながら、昔の人々は、この病気に感染することをあまり怖がって いなかったふしがある。安土桃山時代に来日した宣教師フロイス、幕末に 近い頃来たオランダ海軍軍医のポンペともに、日本滞在中の話として、日 本人が梅毒の感染に対して深刻に受け止めていないということを記してい ます。
 女性の避妊法についてはよくわからない。膣内に和紙を詰めて妊娠を防 ぐ方法や、事が済んだ後、膣内を洗浄するという方法が取られていた、と いう説がある。どちらも不十分な避妊法である。もちろん性病にも感染す る。
 だが、この方法だと妊娠の率が非常に高いことになり、吉原は妊婦で満 員になってしまわないだろうか。どうも信憑性に欠ける。何かもう少しし っかりした避妊法があったのかもしれない。まじめな話として、こういう 裏事情もしっかり研究していくべきだと思う。
 では、望まぬ妊娠をした遊女が次に取った方法は、中絶。江戸時代には 中条流(ちゅうじょうりゅう)という堕胎専門の女医がいた。医者といっ ても現代から見れば医学とはほど遠い。水銀の入った薬を飲ませ、強引に 流産させるというもので、本人が死ぬことも多かった。死ななくても水銀 中毒になることがあったわけで、恐ろしい話である。これは武家の娘でも 町娘でも同じことで、この時代、恋と密通は命がけだったことがわかる。
 さて時代小説では、話中に時々こうした裏事情が登場することがある。 ストーリーの中心には置かないとしても知っておくべきことだと思う。

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