江戸の恋     上山明彦
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 職人の恋(1)

 一人前の職人になるには、厳しい修行を乗り越えなければならない。
 だいたい弟子入りするのは、10歳前後。運動神経や感覚を育てる問題があるから、子供の時から修行するほうが才能が伸びる。10年の年季奉公と1年の年季明けお礼奉公という約束で、親方の下に入る。基本的には住み込みになる。そこで雑用をしながら、少しずつ技術を学んでいく。まともに仕事の手伝いができるようになるのに数年かかる。
 職人の願いはただ一つ。誰よりも早く技術を身につけ、年季が明けたら独立することだ。その気持ちがあるから、辛い修行にも耐えられる。
 とはいえ、能力には差があるのは当たり前。誰もが独立できるわけではない。才能のほかにまじめな態度、周囲との強調など人格的な問題も含め親方に気に入れられることが重要となる。
 ほとんどの場合、11年間は無給で、たまに小遣いがもらえる程度。食事は親方の下で食べさせてもらえた。休みもなく、「藪入り」といわれる盆と正月の2回だけ。そのときは小遣いのほかに、「仕着せ」と呼ばれる衣類を与えられた。一方的に与えられることから、現代でも使われる「お仕着せ」という言葉はここから始まった。
 こうやって考えてくると、親方は弟子から見ると、会社の社長であると同時に親に似た立場にもあることがわかる。弟子の私生活にも深く関わっていた。
 さて、恋の話である。修行に明け暮れ、お金も暇もない職人が、誰かに恋をしたとしよう。それは飲み屋の女中か、遊女か、近所の娘かもしれない。自分の立場を考えれば、気持ちを打ち明けたとしてもどうにもならないことはわかりきっている。独立するのが目の前なら、救いはある。あと何年も年季が残っていたら、たとえ相手が自分の気持ちに応えてくれたとしても、苦しいことになる。親方も半人前の男の恋を許してはくれない。それに加えて、相手の女も年季に縛られていたとしたら...。
 悲恋はここにもある。

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