芸術家インタビュー 第6回  取材・執筆 上ノ山明彦

作家 浅利佳一郎氏

秋田のちまきで街おこし
 

浅利佳一郎氏の御宅を訪問した。2014年3月30日のことである。岩手県側から峠を越えると、辺り一面は雪景色だ。まだ5メートルほど積もっている。岩手県側にはまったく残雪がなかったので、これには驚いた。
到着したのは深夜。田沢湖にさしかかると、街灯もない。雪道をおそるおそる運転しながら、ようやく浅利邸にたどり着いた。深夜にもかかわらず寝ずに待っていた浅利氏が、笑顔で出迎えてくださった。
浅利佳一郎という作家は、風変わりな作家である。作家という人種はそもそも変わった人が多いのだが、浅利氏はその中でもかなり変わった作家だ。
いろいろと興味深い話を聴くことができたが、それはとても一度にご紹介できる分量ではないので、今回はその一端を披露するにとどめたい。

浅利佳一郎と角館武家屋敷
 浅利佳一郎氏(角館武家屋敷にて)

浅利氏は家庭の事情があり、中学卒業後、東京で下宿しながら高校へ通う。アルバイトで自活しながら高校を卒業し、中央大学へ進学。ここで様々なアルバイトを経験する。中でも東京都が運営する衛生局でトイレ汲み取りの仕事に長期間従事した話がおもしろい。そこでの経験は、後年著書としてまとめられ、現在集英社文庫『はばかりながら』に収められている。
当時、雑誌『女性自身』が変わったアルバイトをしている学生を取材していた。その対象者として浅利氏が挙げられる。それが縁で、光文社に就職し、雑誌記者となる。そこからは雑誌記者として活躍する一方、有名作家の助手としても活躍。そして、川上宗勲の弟子となる。
 そういう生活を続けながらも、やがて転機を迎える。懸賞「オール読物推理小説新人賞」に応募し、それがみごと新人賞を受賞。そこから作家としての道を歩み始める。 小説を執筆する傍ら、実母の介護のため郷里の秋田県仙北市に帰郷する。献身的に介護をしながら、介護の研究も開始する。実際的な介護論を展開し、世間の注目を浴び、講演活動も行うようになる。
同時に、街おこしのためにちまきづくりに取り組み、全国で販売。また、定期的に「ちまき教室」 を開催している。

このように多彩な顔を持つ浅利佳一郎氏である。その話も広い視野と豊富な経験に裏打ちされていて深みがある。ここに収録した動画は、ちまきづくりに関連した話でまとめてみた。浅利氏の人柄に触れていただきたい。

浅利佳一郎氏インタビュービデオ

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第1話 ちまきで街おこし ちまきで街おこしに取り組むことになった経緯について聴きます。
第2話 幸運を呼ぶちまき 「幸運を呼ぶちまき」と呼ばれるようになった理由について聴きます。

<著書>
『一発逆転の殺人 長篇ミステリー』 1987.11.ケイブンシャノベルス
『追う刑事たち』 1987.9.ケイブンシャ文庫
『夜族探偵 長編ユーモア推理小説』 1987.7.光文社文庫
『遺言書の見える観客席』 1987.4.ケイブンシャノベルス
『傑作日本列島入門』 はまの出版,1988.11.
『東京ドーム殺人事件』 1988.6.ケイブンシャノベルス
『いつの間にか・写し絵』 1989.2.ケイブンシャ文庫
『北へ!桜前線殺人事件』 光文社,1994.3.カッパ・ノベルス
『桜前線殺人事件』 光文社文庫
『鬼才福沢桃介の生涯』 日本放送出版協会,2000.6
『はばかりながら』 2002.12.集英社文庫

 

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