宮崎駿に学ぶ(二)
子供の目線から世界を見るとは
『ジュラシック・パーク』の作者、マイケル・クライトンが、あとがきだったと思うが、こんなことを書いていた。
「この本は初めは子供の目線から書いて編集者や友人に見せた。だが、評判はさんざんだった。それで考え直して、大人の目線から書き直した。すると周りの評価は非常に良かった。」
文章は私の記憶で書いたので正確ではないが、大筋は間違っていない。このエピソードの意味するところは、子供の目線で書くと、大人はその意味が理解できないということである。営業的に成功することを義務づけられているアメリカの出版や映画の世界では、「子供にはわかる」と言っても通用しない。
実際のところ、日本の出版でも「子供のための童話」の中には、大人が「子供にこうあってほしい」とか「子供はこんなふうに感じるはずだ」という視点から書かれたものも多い。ひどい場合は、現在の子供の風潮に迎合して正当化してしまうものもある。
宮崎駿がアニメを描くときは、考え方(難しく表現すると哲学)は大人の視点、ストーリーや表現は子供の目線から描いているものが多い。それがすごい。その代表作は『となりのトトロ』だ。
例えば、アニメ会社は、ある玩具メーカーの広告料の六割をもらっている。子供のアニメの世界を大人が露骨に商品化しているのである。そういう現実の中で、子供に対して美辞麗句を並べながら商売をしている。その現実を前に、子供に対して文化的精神的に良質な作品を制作していくことがいかにたいへんなことか。宮崎駿は言う。
「たしかに洪水のように流れていくアニメーション作品の中で、良心的な作品を生みだしていくことは大変なことです。洪水の泥水に清水をポトポトとたらしているようなものかもしれません。
しかし、そうだからといって、洪水に押し流されてしまった作品を世に送り出しているとしたら、実に寂しいことだと思わざるを得ません。アニメーションという職業を選んだからには、自分の人生を賭けるといったら大げさですが、それに値することをしたほうがいいと考えながら、いま、その答えを模索しているわけです」(『出発点』より)。
さらにこうも言う。
「子供のためのアニメーションを作るというと、タテマエのように聞こえてしまいますが決してそうではありません。また、子どもにウケるから作るというものでもないのです。
自分の子ども時代に見たかったもの、あるいは自分の子どもが見たがっているもの、つまり、そのとき何が欲しかったのか、というものを作りたい。それが作れたら、ほんとうにいいなあと思っているわけです」(前掲書)
こういう考え方の下で、宮崎駿がいかにして子どものために良質のアニメを作っているのか知りたくなる。映画『となりのトトロ』は、子どもたちがワクワクドキドキしながら何回も見ている作品である。あれほど子どもの共感を得た作品は少ない。そういう作品はどうやって作られたのか、興味が湧くところだ。