瀬戸内寂聴に学ぶ
幼い頃から文学少女だった
瀬戸内寂聴(せとうち じゃくちょう)は旧筆名を瀬戸内晴美という。大正十一年五月に徳島県徳島市で出生。東京女子大学国語専攻部〔昭和十八年〕卒業後、在学中に結婚して中国に渡り、一女をもうけている。北京から引揚げ後、離婚し創作活動に入った。
彼女は大工の娘として生まれた。生活は苦しかったという。父親の仕事場と奥に一部屋あるだけの家。そこで親子が寝ていた。
父親は破天荒な人だったようで、他人の保証人になって財産をなくしたり、鳥かごを販売してそれが当たると小鳥屋を始めたり、そのあげくに九官鳥の嫁入りというアイデアビジネスを始めたりしている。そういう父親の性格は彼女にも受け継がれているようである。
家が文学とは無縁な環境だったにもかかわらず、小さい頃から文学少女であった。まだ幼稚園児だった時、姉の小学校の先生に可愛がられ、家へ遊びに行った時見かけた『世界文学全集』や『日本文学全集』を意味もわからずに借りて片っ端から読破した。
授業で「将来何になりたいか?」と聞かれた時、「小説家になりたい」と言ったという話が残っている。
女子大時代に福田恆存の奥さんと知り合いになり、福田恆存に原稿を送ったそうだ。それがきっかけで同人雑誌に入ることを勧められだ。彼女は丹羽文雄の『文学者』に入る。
昭和三十一年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞しだ。
その後、三十五年「田村俊子」が第一回田村俊子賞を受賞したことが、本格的な作家への第一歩となる。
三十八年「夏の終り」で第二回女流文学賞を受賞して作家としての地位を築くことになる。
受賞歴は以下の通り。
昭和三十一年 「女子大生・曲愛玲」;田村俊子賞(第一回)
昭和三十五年 「田村俊子」;女流文学賞(第二回)
昭和三十八年 「夏の終り」;谷崎潤一郎賞(第二十八回)
平成四年 「花に問え
」;京都府文化賞特別功労賞(第十一回)
平成六年 芸術選奨文部大臣賞(第四十六回)
平成八年 「白道」;文化功労者
平成九年 放送文化賞(第四十九回)
平成十年 ダイヤモンドレディ賞(第十三回)
(「日外アソシエーツ Web WHO 経歴情報」参照)。
瀬戸内寂聴は学生結婚、離婚、出家と波瀾万丈の人生を送っている。彼女を文学に引き込んだ原動力は何なのだろうか?
瀬戸内寂聴は平成十年に「源氏物語 」(全十巻、講談社)の全訳を完成させている。源氏物語の世界に、寂聴の文学に込める想いが見えるような気がする。