大沢在昌に学ぶ
大学を除籍、本気で作家をめざした
慶応大学に入りながらも遊び過ぎて大学を除籍になったのがきっかけで昔からの夢だった小説家をめざそうと決心した男がいる。大沢在昌(おおさわ・ありまさ)がその人だ。
一九五六年愛知県生まれ。一九七九年に小説推理新人賞受賞。一九九一年に「新宿鮫」で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞長編部門を受賞。一九九四年に「新宿鮫 無間人形」で直木賞を受賞している。
本人が大学を中退したのではなく除籍になったと語っているが、どうも本当のようだ。しばらく落ち込んでいたが、ふと忘れていた小説家になるという夢が蘇り、本気でやろうという気になったという。大学をきちんと卒業していたら、どこかに就職し、二足のわらじを履きながら作家を目指すということもできるが、中退なのでそれができないという想いも彼の気持ちに拍車をかけた。。
彼がとりあえず選んだのが文化学院という学校の創作コースに入るという道だった。そこで一年間、純文学を志す同級生たちといっしょに勉強した。大沢がそのころからハードボイルドの片鱗を思わせる小説を書いていたので、内面的な話しか書かない同級生たちとは世界が違っていた。
「何のために文学をやるのか?」という問いに、大沢が「銀座にベンツに軽井沢」と答えると、「おまえみたいな奴は文学をやる資格はない」と言われたと語っている。たしかにそういう純文学青年は今でもいる。
「純粋に文学に取り組む」とはどういうことなのだろうか。動機が「有名になりたい」とか「金持ちになりたい」というものであっても、作品が芸術的にすばらしいと評価されるものであればそれでいいと、私は思う。出発点が何であれ、いい作品を追い求めていれば、いずれ精神的にもある悟りの境地みたいなところにたどり着くことができるのではないだろうか。
大沢は学校に学ぶべきことがないということがわかり、ここもやめてしまう。その後は懸賞への投稿に専念し、二十三歳で「小説推理」の新人賞を受賞し作家デビューを果たしている。そこからは順風満帆のようだ。
大沢は食べるために小説家をめざしたと語っている。他にもそういう作家はたくさんいる。作家やその他の芸術家は作品でその人を評価すべきだと、私は思う。