司馬遼太郎に学ぶ(三)
「司馬史観」に教えられたこと
前回、司馬遼太郎が作家としての人生を自分の戦争体験での疑問から 出発したことを紹介した。その答を探すために膨大な日本の歴史を調べあげ、自分なりの分析を行い、その結果を小説やエッセイの形で発表した。 やがて人は彼の歴史観を「司馬史観」と呼び、敬意を表するようになった。
ここで「司馬史観」とは何かについて論議するには、あまりにも説明すべきことが膨大で不可能である。ひとつ彼の著書を読んでいただくことをおすすめしたい。
司馬遼太郎の歴史観のほんのさわりをここで紹介しておこうと思う。
第二次世界大戦は、日本に非がある部分が多いというのは事実である。 他国の主権を踏みにじって軍隊と国民がそこに駐屯や植民を行ったのであるから。たとえ結果的にその国に鉄道や学校などを建設し、その後の経済 的利益をもたらしたとしても、他国民の誇りと権利を傷つけた植民地化は正当化できるものではない。
しかしながら、他国民やジャーナリズムから当時の日本人と軍隊の行動でありもしないこと、つまりぬれぎぬを着せられて非難されることも問題である。
過去の戦争問題がいまだに処理できていないのは、日本人にとって不利なこともそうでないこともすべてひっくるめて事実を集め、国際世論の批判に耐えうる分析ができていないことによる。
国際世論や自国民が納得できる処理のためには、科学的各分野の頭脳を集め、一つの政党・党派、宗教・団体、イデオロギーに偏らない学術的な分析・評価を行い、それに基づいて国として謝るべき点は謝り、補償すべ きところは補償することが必要である。
自国民にとって苦痛に満ちた結論が出ることも覚悟して、世界の歴史的評価に耐えうる分析と評価を行うべきであるという考え方だ。
実際、ドイツは敵対国であった諸国に対してそういう戦後処理を行ったために軍隊を持つことができたし、十年前の湾岸戦争では国連から軍隊を派遣することも認められている。
かたや日本は、世界で何か行動を起こそうとするたびに、第二次世界大戦のことや真珠湾攻撃のことを持ち出される。これをいつまでも引きずっていてはいけない。
戦争が絡むとどうしても感情論やイデオロギーが沸騰してしまい、将来に向けた建設的議論がかき消されてしまう。残念なことである。
司馬史観の最大の魅力は、今述べたような話にあるのではない。日本人の民族としての欠点も美徳もすべてひっくるめて、そのルーツを歴史に求め、あきらかにしようとしたところにある。
たとえば、日本が戦前の軍部独裁体制になぜ突入していったかを知りたかったら、 明治維新から昭和初期までを知る必要があるし、明治維新の意味を知りた かったら、江戸時代を知る必要がある。
司馬氏は作家として膨大な資料を分析する中で、日本人という民族は、卑下すべきことばかりではなく、世界に誇ることができる長所もあることを発見し、それを作品として発表してくれている。
司馬遼太郎は生前、自分は決して政治には関わらないということを宣言していた。あくまでも作家として社会と関わっていくことをはっきりと述べていた。政治が変わるには膨大な時間が必要であることがわかっており、かつ政治家に利用されることを恐れていたのだろう。
私は司馬氏のエッセイや歴史小説を読むことによって、しっかりした根拠を持って、日本人としての誇りを取り戻すことができた。氏の考え方、作家としての生き方には、感銘を受けた。それは私の人生にとって非常に大切なことだったのである。