椎名誠に学ぶ

   「本の雑誌」と業界誌のはざまで

 私は椎名誠にあこがれと親近感を持っているのだが、それには訳がある。それは私が銀座の地下鉄に乗り込もうとしたとき、ドアが開いたら目の前に椎名誠が立っていたからではない。私がかつて勤めていたことがある出版社が昔、新宿三丁目で「本の雑誌社」と同じビルに同居していたからでもない。かつての同僚が新宿三丁目のある居酒屋でバイトしていたとき、椎名誠が仲間を引き連れてよく飲みに来ていた話を聞いたからでもない。その理由は最後にお話しよう。
 椎名誠がプロの作家になったきっかけは、やはり「本の雑誌」にある。「本の雑誌」が世間から高く評価され、彼にもエッセイや小説の原稿依頼が舞い込むようになった。出版した本は賞を取ったり、ベストセラーになった。その後は読者諸氏のご存じの通りである。
「本の雑誌」の創刊まで、椎名誠は「ストアーズ社」で小売業界向け雑誌「ストアーズ・レポート」の編集長として働いていた。文芸の世界とは異なるビジネス物の出版業界だが、本当は文芸物が好きであるにもかかわらずに、いろいろな事情があって別の分野の出版社で働いている人間は、たくさんいる。椎名誠もその一人だったのである。
 前々回、目黒考二編で紹介したように、彼が椎名誠の部下として働いたことがきっかけになって「本の雑誌」の原型が生まれた。それがどうやって現在の姿に成長したかについては、椎名誠の著書、『本の雑誌血風録』(朝日新聞社刊)に詳しく書いてあるので読んでいただきたい。ここでクドクド紹介するよりその方がいい。楽しくて勉強になる本である。私もさっそく読んでみたが、彼らの「変人」ぶりに笑い転げた。彼の当時の心境もよくわかって、たいへん読み応えがあった。彼の才能をもってしても、会社人間の価値観でしか判断できない無能な上司と同僚・部下に苦労されられたんだな、と同情したりした。
 私が椎名誠に親近感を持つ理由は、私のたどってきた編集兼記者生活が彼の業界誌時代と重なる部分があるからだと思う。個人的には学生時代から本格的な文芸やノンフィクション、あるいはジャーナリズムの方向で就職したかったが、いろいろないきさつで果たせなかった。
 そして私も転職の多い出版業界でご多分に漏れず転職を重ねてきた。その模様を書くとそれだけで一つの「血風録」ができると思う。けっこう変な社長や社員と出会ったからだ。幸いなことに植野満氏という変人(本人は否定)も登場するし、おもしろいかもしれない。ただし、まだ差し障りがあるので実名では書けないと思う。
 それはさておき、私も仕事でビジネス物から年鑑物、あるいはコンピュータ物まで、いろいろな原稿を書き、本を作ってきた。今もそうだ。ヒラだったこともあるし、編集長だったこともある。私が退職願いを出したとき、「近い将来、君を社長にするから」とか「最高責任者にするから」と引き留められたことも数度ある。それでも私がいた分野は、骨身を削ってがんばってみても、そのときは必死に打ち込めるのだが、どこか空しさが付いて回った。それと若さゆえの強いうぬぼれもあって、自分の力を発揮できる新天地を求め続けたのである。
 ようやく四十歳を過ぎて、新天地は他人から与えられるものではなく、自分の力で仲間の協力を得ながら創り上げるものだということがわかった。今では「副業」で何をしようと関係なく「本業」に打ち込むことができる。
 椎名誠の業界誌時代の話を読むと、「そうそう、そうなのだ」とシミジミ実感することがある。私もまた苦労して会社を築き上げた経営者にインタビューするのは楽しかった。たしかにきれいごとの部分もあったかもしれないが、その考えには経験に裏打ちされた深い哲学があった。それは若い私にとって大いに勉強になった。
 椎名誠とその仲間たちのその後の活躍を見ると、何よりも勇気づけられる。表現が難しいが、空しさを抱えながら悶々と働いている我々の前で、「自分の好きな道をまっすぐ歩いてみようぜ。そりゃあ楽な道じゃないけど、やればできるもんだよ」と手本を示してくれているような気がするのである。