開高健に学ぶ 1

   その生き方と苦悩

 開高健の正しい読み方は、「かいこうたけし」である。

 開高健といえば、戦地を駆け回っている姿や釣った大魚を抱えながら陽気に笑顔をふりまいているイメージがある。中高年以上の方であれば、CMでウイスキーを片手にパイプをくゆらせている姿が、まず頭に浮かんでくるだろう。いずれにしても、行動的で、健康的で、陽気な作家、という印象が強い。

 実際はどうか。調べていくと、まったく違った姿が浮かび上がってくる。

 開高健は二十八歳で芥川賞を受賞。翌年に黄疸を発症。その後胆石を患い、数年後に大手術を受けている。

 最後は、食道ガンで入院し手術。肺炎を併発して永眠。一九八九年のことだ。享年五十八歳。

 繊細な神経と大胆な行動力の人。釣りとタバコとワインをこよなく愛した人。 常に体調不良という厳しい状況の中で取材し、原稿を書き続けた人。それが開高健である。

 この話は、娘の開高道子が書いた『父開高健から学んだこと』(文藝春秋刊)に詳しく書かれている。開高道子は翻訳家・エッセイストとして将来を期待されていたが、一九九四年、若くして踏切事故で亡くなっている。開高健の妻は、詩人の牧羊子。こちらは二〇〇〇年に亡くなっている。

 前記の本の中で、印象に残った話がある。

 開高道子は、幼い頃父に抱きしめられた記憶がなかった。反抗期だった高校生のとき、ちょっとしたことで道子は父とつかみ合いのけんかをしようとした。

 そのとき、父健は道子をしっかり抱きしめて、何もしゃべらなかったという。この出来事は何を意味するのだろうか。そこには父親としての開高健の深い苦悩が込められている。

 開高健を苦しめたのは、肉体的な病気だけではない。

 彼のエッセイを読むと、はっきりと自分が極度の躁鬱病であることを書いている。私としても、この話を読者に誤解のないように伝えなければならないので気を使うところであるが、今回だけでは説明不足になるので、本稿の連載を読んで理解していただくことを先にお願いしておく。

 鬱状態にある開高健の話は悲痛に満ちている。そういうときはまず部屋にこもってウイスキーを飲み続ける。二日も三日も飲み続ける。何も書けない。どうにもならない気分を少しでも良くしようと、泊まりがけで釣りに出かける。国内のときもあれば、海外のときもある。

 釣りをしても、宿にいても、気分は晴れない。また酒を飲む。そうこうしているうちに、少しずつ気分が上向いてくる。釣りを続けているうちに、すっかり気分が高揚し、家に帰って原稿でも書くか、という気になる。開高健にとっても釣りは、単なるレジャーではなく、自分との闘いの場なのである。

 開高健のうめきにも似たエッセイを読んでいると、彼の命を支えたものは何だったのか、という疑問を突きつけられる。

 開高健の小説は、いわゆる「純文学」系に入れられるが、よく見かけるようなストーリーがおもしろくない純文学とは、まったく異質である。内面の深い掘り下げと同時に、推理小説のような展開のおもしろさがある。レッテルを貼ること自体がナンセンスであるが、わかりやすく言うとそういうことになる。

 開高健のことは簡単には説明できないので、これから数回に分けて、彼の感性や考え方について研究していくことにしたい。