佐藤さとるに学ぶ 3

   起ったかもしれないと思わせるもの

 メルヘン(昔話、お伽話)とファンタジーは、はっきりとした違いがある。

 メルヘンの世界では、犬や猫や蛙や鳥や花や木が無条件に人間の言葉を話し、意思を通わせることができる。非現実的な世界の中で、いろいろな出来事が起きる。一次元の世界である。読者はそれを信じていないにも関わらず、おもしろおかしくその話を楽しむ。

 ファンタジーは、一方に現実の世界があり、もう一方に非現実の世界がある。あるなんらかの出来事によって、主人公が現実の世界と非現実の世界を行ったり来たりするのがファンタジーの世界である。つまり二次元の世界だ。

 ここのところははっきりと区別しておく必要がある。

 「一般の写実的文学作品は現実と同じ世界のもとに描かれていて、とうぜんながら非現実を排除している。これも、もちろん一次元だが、メルヘンのように非現実を当たり前とした世界もまた、一次元である。それに対してファンタジーは、この両方の性格を兼ね備えている場合が庄倒的に多く、二つの世界を結ぶためのくふうがさまぎまになされる」(ファンタジーの世界 (講談社現代新書 517) 、七〇頁)

- 現実の世界は、科学の法則が貫かれている世界である。人は空を飛べないし、動物は人間の言葉を話すことができない。非現実の世界では超常現象があったり、超能力を持った人間がいたり、人間の言葉を話す動物がいたり、異星人がいたりする。あるとき主人公や他の登場人物に何かの出来事があり、それがきっかけとなって、現実世界と非現実世界の間に「通路」や「すき間」のようなものができ、主人公たちが二つの世界を移動することになる。そういうのがファンタジーの世界である。つまり二次元の世界である。

 しかしながら、ファンタジーの世界が、読者にまったく嘘っぱちの世界であると思われてはいけない。次の引用にあるように、本当に起こったかもしれない、あるいは起こりうるかもしれないと思わせるものがファンタジーの本質なのである。

 『ジェニーの肖像 (創元推理文庫) 』の作者として知られるアメリカの作家、ロバート・ネイサンは、ファンタジーを次のように定義している。

「ファンタジーとは、起ったことなどなく、起り得るはずもないこと。だが、起ったかもしれないと思わせるもの」(前掲書、六〇頁)

- そこでファンタジーが成功するか否かは、まず第一に非現実世界への「通路」やそうなるきっかけ(仕掛け)をどう設定するかだ。これはどの作家も苦労しているところである。

 例えばいろいろな作家が使っているきっかけの設定として、事故がある。スケートをしていて人とぶつかり、転倒して頭を強く打ったために透視能力が身に付いた(スティーブン・キング)。

 ある不思議な場所に初めからそういう「通路」があるという設定もよく使われる。例えばトンネル。映画『千と千尋の神隠し』もトンネルが異次元空間への通路として使われている。神社や墓地などもそうだ。霊との遭遇場所に使われる。宮部みゆきは『蒲生邸事件』で、ある階段の出口をライムスリップの通路として使っている。

 ある特定の日時がきっかけになることもある。例えば誰かの命日や何か大事故や大災害があった日時など。その日時にだけ不可思議な出来事が発生するのである。

 ある特定の物体や生物を手に入れたことがきっかけとなり異次元空間に入り込む、という設定もよく使われている。

 読者はその仕掛けに納得し、「こういうことが本当にあるのかもしれない」と思いつつ、ファンタジーの世界に引き込まれていく。その段階で読者が「こんなのありえないよ」と思ってしまったら、その小説は失敗である。

 いったん非現実の世界に入ってしまったら、読者がその世界を生き生きと本当にあるかのように感じ取らなければならない。まったく現実性がないものは失敗作である。書き手はあらゆる手法を駆使して、読者に非現実世界を実際にあるかのように伝える努力をしていかなければならない。

. 「仕掛けというのは、そうした細部のデテールのリアルな積み重ねのことで、これが非現実の中に現実を生んでいく。読者は、まるで魔法をかけられたように、あり得ないでき事、情況、状態を受けいれてしまう。ようするに人間の想像力は、適切な刺激と情報を与えられると、目に見える現実だけでなく、見えないもう一つの現実(じつは非現実)をも、やすやすと創りあげる能力を備えているのである。ファンタジーは、基本的にこの能力によって成りたっている。

 しかし、そういう効果の期待できる文章を書くことは、読む立場にくらべると、ひどく骨の折れる仕事である。作者は、自分の非現実なイメージを、目に見えるように伝えるために、いろいろなデータを読者に授供するのだが、その順序や、伝えたい情報量などを誤らないように、細心の注意を払って、しかも平明な文で表現しなくてはならない」(前掲書、五九頁)

- 我々の日常生活は科学の法則で成り立っている。基本的に我々は科学に反するような話は信じないものである。

 しかし一〇〇%科学の力を信じているわけでもない。心のどこかで神や霊魂や超能力や不可思議な世界の存在を信じている部分があるのも事実だ。何らかの理由をつけて説明されると、信じてしまうものなのである。

 ファンタジー小説として成功するか否かは、まさしく作者の力量に左右される。どこか一カ所でも綻びがあれば、作品全体が台無しになる。一部分だけでも高く評価されるということはファンタジー小説においてはあり得ない。それだけにむずかしくもあり、やりがいもある。